明治維新の実相~占領終了まで 歴史認識を学ぶ

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「百年の遺産」(岡崎久彦著)

   4月8日、昨秋逝去した外交評論家・岡崎久彦氏を偲ぶ会が執り行われた。氏は第一次安倍内閣にて首相の私的諮問機関の一員を務めておられた。戦後70周年談話のあり方が論議される中、その歴史認識を学ぶべく手に取ったのが本書である。

  • 百年の遺産
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本書の由来

   本書は、PHP研究所から発刊されている5冊の岡崎氏の著作(「陸奥宗光とその時代」「小村寿太郎とその時代」「幣原喜重郎とその時代」「重光・東郷とその時代」「吉田茂とその時代」)を凝縮し、平成十四年四月から七十三回にわたって産経新聞に連載したものだ。外交の立役者の働きに軸足を置き、明治維新の実相を示し、日清・日露の戦争を語り、大正デモクラシーを讃え、対米戦に陥る経緯そして日本国憲法の制定過程と占領終了までを描く。

   本書あとがきによれば、小中学校の教育用として用いることも念頭に出版されたようだ。日本近現代史の知識がある程度ないと読みこなせない内容と思うが、思い切った断定と、丁寧なですます調が相まって非常に読み易いことは確かだ。学校教育で手薄になりがちであった近現代史を鳥瞰できる意義は大きい。

現代日本の民主主義は守られるか

   本書で著者は、日本の民主政治の系譜を丹念にたどっている。

   特に大正デモクラシーの成熟度を高く評価し、それが喪われ全体主義に傾斜していった理由を「端的に言えば、初めての民主政治だったから」とする。

   即ち、選挙の腐敗と汚職が横行し民心が政党政治から離れたとき、戦前日本には藩閥と軍部という選択肢があったが「この二つの期待が惨憺たる結果に終わり、もう他の選択肢はもっていないという意味で、現代の日本の民主政治は安定している」とする。

   確かに、自衛隊への信認が高まりつつあるとはいえ、軍閥支配を求める民意は生じるべくもない。情報化社会における政治・行政の透明性確保の要請も止まるところを知らず、戦前のような構造的な腐敗汚職は生じにくかろう。

   それにしても腐敗が政治不信を増進させ全体主義に至ったとの分析に直面すると、行政官の一人として、法執行の厳正さを維持する制度的意義を再確認させられ、襟を正す思いである。

サムライ・デモクラシー

   この戦前民主主義の嚆矢にして一夜の夢とも言うべき位置に、著者は「サムライ・デモクラシー」を据える。これは第一回帝国議会議員選挙の様子、即ち、

・公平無私に立派な人を選ぶのが選挙であるから、親類や知人であるというだけでの投票さえも不正とされた
・国政を託せる一流の人物を挙げるべく、全国各地が他府県に負けない人物を出そうと競い合った
・立候補は品性下劣とされ、本人が迷惑がる立派な人物が担ぎ出される例が多々あった

――といった状況を指す、著者の造語である。

   著者はこうした「お伽噺のような、清廉潔白、人物識見本意、国家社会のためだけという世界」の「清新の気風がそのまま続いていたらば、日本の議会民主主義は世界に誇る清廉潔白、人物本位のサムライ・デモクラシーになっていた」とし、政府が第二回選挙で大弾圧を行ったためにこうした世界が崩れたことを惜しむ。

   往時は制限選挙であるし、立候補の積極的意義なども思うと、些か美化が過ぎるとも感じる。だが第一回選挙の投票率93%という事実も加えて考えれば、その熱意と真摯さは、やはり汲むべきところ大である。

著者の闘い

   肝心の著者の歴史認識であるが、「戦後の左翼偏向史観」(著者)によって歪められた歴史を正さんとする志向があることは明白だ。慰安婦の誤報が明らかになった今と異なり、著者が主張した当初はさぞ極端な意見に映ったことだろう。読者各々その内容に意見はあろうが、現職外交官当時から日本社会特有の同調圧力に屈せず発信を続けた胆力に、公務員たる評者は敬服する。

   そもそも左派の歴史認識は何故事実とかけ離れたものを含むに至ったのか。著者はその原因を専ら占領の抑圧とその後の左派勢力の政治的動機に求める。だがそれだけだろうか。

運動の陥穽

   官僚の無謬性を信じる者がない現代であれば、戦前政府・旧軍の無謬性の主張に説得力はあるまい。事実、伏せられていた政府・旧軍の虚偽や過ちは、戦後に発掘され、真摯な反省と厳しい批判の的になってきた。

   評者思うに、そうした真実発見という正義のもとに集団ができ、集団ができると集団自体が意思を持って運動が始まり、運動はそれ自体が自己目的化し、果ては事実を歪める、といった経路があったのではあるまいか。

   仮にそうなら、過ちは左右を問わず生じうる。

   美醜両面あった神風特攻隊について、本書はほぼ美のみを記す。善解すれば、醜のみ喧伝する左派運動への反作用ではあろう。だが反作用が運動と化し、仮に行き過ぎが生じるならば、真実が別の彼方に遠ざかる惧れもある。

   本書がそうした行き過ぎを孕みうるかは読者の判断に委ねるべきところだが、著者が一部の右翼史観をも一刀両断にするくだりは、将来の弊害を封じる配慮でもあろうと、評者は受け止めたい。

海外への発信

   著者は、戦勝国アングロ・サクソン史観が支配している現在の世界の近代史史観に一石を投じることを願っていたという。果たして2007年、ジャパンエコー社から"From Uraga to San Francisco A Century of Japanese Diplomacy 1853-1952"として本書の英訳版が発刊されている。

   海外で活躍する方々でも、日本近現代史の史実検証を積み重ね、かつそれを英語で的確に説明できる方ばかりとは限らない。70年談話を巡る日本の歴史認識について、外国人と英語で論戦をしたい方には恰好の素材であろう。

   その意味で本書とその英訳版は、著者が平成の日本にもたらした、文字通り貴重な「遺産」というべきと思う。

酔漢(経済官庁・Ⅰ種)

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