「情報過多時代の頼れる最強ブレーン スマートマシンがやってくる」(ジョン・E・ケリー3世、スティーブ・ハム著、日経BP社)
経済や社会のイノベーションの必要性が叫ばれている。イノベーションの全体像や正体については、人々の間で必ずしもコンセンサスが得られているわけではないが、情報通信やコンピュータの世界で何かイノベーションが起こりつつあるということは概ね同意されているのではないだろうか。
そうした中、世界のコンピュータ産業の代表格であるIBMのリサーチ担当のシニア・バイス・プレジデントと同社のライターが、今起こりつつあるコンピュータの進化によるイノベーションについて同社の動向を中心に紹介したのが本書である。
人間とコンピュータがそれぞれの得意分野で協力
本書は、まず、今後20年間のコンピュータの技術進化により、「コグニティブコンピューティングの時代」が到来し、それが我々の暮らしを大きく変えるだろうと述べ、すでにIBMのコンピュータ「ワトソン」が、米国のクイズ番組「ジョパディ!(Jeopardy!)」の過去のグランドチャンピオン2人に勝利するなど、従来のコンピュータに見られない機能を発揮することに成功した例を紹介している。
すなわち、従来のコンピュータは、人間がプログラムした情報の保存や計算を精緻に実施することが主要なタスクであったが、コグニティブコンピュータは、ビッグデータを基にして、自律的に学習し、新たなタスクを作り出すという人間的な特性をある程度備えるようになるというのである。
コンピュータの進化については、以前からSF作品においてコンピュータによる人間支配など暗い未来社会の一例として語られることも多く、また、情報通信の進展は人間の仕事の喪失(雇用の減少)につながるという見解を唱える者もいる。しかし、本書の筆者は、それを完全に否定する。コグニティブコンピュータは、コンピュータが人間化することではなく、人間とコンピュータがそれぞれの得意分野で協力するようになることであり、例えばワトソンが医療分野においてビッグデータを駆使して医師の仕事をするのではなく、医師の有能なアシスタントの役割を果たしていくという例を挙げている。つまり、コグニティブコンピュータにより、これまで人間の力だけではできなかった仕事ができるようになり、あらゆる産業でイノベーションの機会が新たに創出され、実践されると述べているのである。
現実的には、コグニティブコンピュータによるイノベーションは、人間の雇用を創出するとともに奪うことにもなるであろう。創出する雇用が喪失する雇用を上回ればいいのであり、それは、我々が期待しているところでもある。
ビッグデータ活用に必要、人材やインフラ、新システム
続いて本書は、コグニティブコンピュータの実現のために必要なビッグデータの管理・分析のために必要とする新たなアプローチについて紹介している。
ここ1~2年で急激に期待が高まっているビッグデータの活用であるが、何をどう活用すればよいのか分からないという声も聞かれる。データを活用するには、そのための人材やインフラが必要になるだろう。本書の筆者は、このうちインフラ部分であるコンピュータに必要なことを下記の4つにまとめている。
すなわち、IoT(モノのインターネット)によって生じるビッグデータについてコンピュータがそれを十分に活用するためには、①ボリューム、②多様性、③スピード、④正確さ――の点でコンピュータにも新たなシステムが必要であると述べている。本書は、ビッグデータの特長を十分に活かすためには、上記4つの機能を活用し、リアルタイムで獲得した多様な情報を臨機応変かつ柔軟に分析し、正しい確率の高い解を導き出すことが求められており、その先に人類の進歩のために共有・利用可能な集合知が築かれ、それこそがビッグデータの約束する最終的な到達地点であると述べている。そのためにも、上記の新たなシステムを実現すべく、今こそ産学官による基礎科学研究やリスクの高い長期プロジェクトへのコミットメントを復活させるべきであるというのである。
人間の脳に比べあまりにも膨大な電力消費量
そして最後に再度、コンピュータと人間の協働によるイノベーションの実現に期待を込めている。
そこに至るまでには様々な技術的課題を克服する必要があるというのであるが、特に印象的だったのは、電力の問題である。ワトソンの消費エネルギーは、フルスロット稼働時で8万5000ワットの電力を要するが、人間の脳は、20ワットしか使わないというのである。省電力化を進めたとしても、コンピュータが人間の脳に匹敵するほどのエネルギー効率を獲得することは非常に困難なことであると言えよう。もしかするとこの点が最大の課題になるかもしれない。
また、本書では、コグニティブコンピュータによる具体的なバラ色の予想(期待)が描かれているが、いずれの予想も現在の我々のビジネスや生活から想定の範囲内であり、本文中では破壊的なイノベーションと述べながらも、その点に限界が見られた。本書で述べられている例よりも遙かに利便性の高い商品やサービスが出現し、社会経済を抜本的に変化させることができたならば、それこそが破壊的なイノベーションと言えるのかもしれない。ついでに言えば、そのときそれを担う企業や人材が我が国から出てくることを期待したい。
経済官庁 室長級