現代は、ピアノを代表とする「鍵盤楽器」が広く行き渡って楽器として親しまれているおかげで、「平均律」という調律方法に疑問を抱くことは少なくなっています。平均律とは、鍵盤楽器の調律方法の1つで、本来数学的に割り切れないオクータブに含まれるすべての音を、いくつかの音程関係では、少しずつ妥協して、すべての長調と短調がうまく響くようにした調律方法のことです。現代のピアノは、ほぼこの調律方法で、調律されています。厳密に数学的に調律すると、「○長調は綺麗に和音が鳴るけど、○短調に転調したら音が濁って聞こえる...」というようなピアノになってしまうので、チェンバロを母体としたピアノが誕生するころに開発された、鍵盤楽器の「妥協的調律方法」なのです。
現代でも、音程を各音ごとに調整できる弦楽器や声楽では、演奏する和音によって、同じ音でも微妙に上下させて、「他の音とハモる」ということをしているわけです。鍵盤楽器で、弾くたびに音程を変えるということは不可能なので、「すべてがほんの少し濁っている、だけど、その代りすべての調が使用可能」という中間的方法をとっているのです。
「音楽の旧約聖書」
平均律、というのは、本来そのような「音律の1方法」なのですが、クラシックの中で「平均律」と呼ばれている曲集があります。それが今日の登場曲です。先週に引き続き、音楽の父、J・S・バッハの曲です。
調律方法と区別するために、日本では「平均律クラヴィーア(鍵盤楽器)曲集」と呼ばれることが習慣になっていますが、ドイツ語の原題を忠実に訳すと、「良く調律された鍵盤楽器のための曲集」という意味になります。前奏曲とフーガという2曲1組で、すべての長調と短調、合計24の調で書かれ、第1巻と第2巻があるので、合計48組の前奏曲とフーガからなっている、大きな曲集です。指揮者にしてピアニストだったハンス・フォン・ビューローという音楽家は「音楽の旧約聖書」と呼んだぐらい、重要な古典となっています。ちなみに彼が「新約聖書」と呼んだのは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタたちです。
バッハは、受難曲やカンタータといった作品をメインに作曲する教会に勤務する作曲家だったので、その方面でもたくさん傑作を残していますが、この平均律のように、宗教的でなく、声楽も登場しない純粋器楽においても、この曲集のような大傑作を残しています。「平均律クラヴィーア曲集は、「その後のすべての音楽家に影響した」と形容しても言い過ぎでないぐらい、見事な作品たちなのです。
野心的...実は、子供たちの教育曲集として発案
鍵盤楽器のために、すべての長調と短調を網羅して曲集を作るという「平均律クラヴィーア曲集」は、後世から見ると大変野心的な試みに見えますが、もとは、子だくさんだったバッハが、子供たちの教育曲集として発案されたと考えられています。その過程で「どの調でも魅力的な曲を書いていこう」というバッハの壮大な決意のもと、彼の持てる鍵盤楽器のすべての作曲技術を総動員して、作曲した結果、このような、偉大な金字塔を打ち立ててしまったといえるかもしれません。
教会で演奏する受難曲やカンタータと違って、「家庭内で演奏される」という性質が強い曲集だったため、バッハの死後しばらくは忘れ去られていましたが、バッハが再評価されるとともに、演奏機会も増え、かのショパンは、「毎朝平均律クラヴィーア曲集から必ずピアノを弾き始める」と言い残し、彼自身「24の前奏曲」という曲集を残していますし、近代ソ連の作曲家ショスタコーヴィチなども「24の前奏曲とフーガ」というバッハを意識した曲を残しています。また、グノーは、平均律第1巻の第1番の前奏曲を伴奏として上にメロディーをつけ、「アヴェ・マリア」という有名な曲を作ったりしています。
優れた鍵盤楽器作品としてあらゆる時代の音楽家に愛された「平均律クラヴィーア曲集」は、上記のように、多くの作曲家を刺激しましたが、現代でも、クラシック・ピアニストを目指す人たちほぼ全員が、世界中で、この曲集を学び、演奏しています。
本田聖嗣