野心的...実は、子供たちの教育曲集として発案
鍵盤楽器のために、すべての長調と短調を網羅して曲集を作るという「平均律クラヴィーア曲集」は、後世から見ると大変野心的な試みに見えますが、もとは、子だくさんだったバッハが、子供たちの教育曲集として発案されたと考えられています。その過程で「どの調でも魅力的な曲を書いていこう」というバッハの壮大な決意のもと、彼の持てる鍵盤楽器のすべての作曲技術を総動員して、作曲した結果、このような、偉大な金字塔を打ち立ててしまったといえるかもしれません。
教会で演奏する受難曲やカンタータと違って、「家庭内で演奏される」という性質が強い曲集だったため、バッハの死後しばらくは忘れ去られていましたが、バッハが再評価されるとともに、演奏機会も増え、かのショパンは、「毎朝平均律クラヴィーア曲集から必ずピアノを弾き始める」と言い残し、彼自身「24の前奏曲」という曲集を残していますし、近代ソ連の作曲家ショスタコーヴィチなども「24の前奏曲とフーガ」というバッハを意識した曲を残しています。また、グノーは、平均律第1巻の第1番の前奏曲を伴奏として上にメロディーをつけ、「アヴェ・マリア」という有名な曲を作ったりしています。
優れた鍵盤楽器作品としてあらゆる時代の音楽家に愛された「平均律クラヴィーア曲集」は、上記のように、多くの作曲家を刺激しましたが、現代でも、クラシック・ピアニストを目指す人たちほぼ全員が、世界中で、この曲集を学び、演奏しています。
本田聖嗣