旧幕臣の底力
著者のいう「田舎侍」は、血気はあっても新政府を動かすには役立たぬ者が多かったようである。引用される松平春嶽の書簡に「議参一同...終日、座禅アクビたばこの外、用はこれなく...愕然の外これなく候」とまである。他方で旧幕臣は、著者の言によれば「学問の鍛え方が違う」のである。自然、新政府も徐々に旧幕臣を登用せざるを得なくなる。
仮に海舟が、旧幕府の有能な実務家を養い続け、時機を見て新政府に登用せしめ以て近代日本の礎に据えたとすれば、その深慮如何ばかりと言うべきか。
新政権が旧政権の担い手に敵愾心や警戒心を抱くとしても、実務が担われなければ統治機構は動かすべくもない。権力が移譲される際のこの教訓は、時代を超え、ゆめゆめ軽視してはなるまい。
旧幕臣の底力を示すエピソードは他にもある。本書によれば、静岡茶は旧幕臣自ら発案した開墾に端を発する。場所は数百年間も農民に見放されてきた傾斜地。想像を絶する労苦であったろう。従事した旧幕臣には、新選組の生き残りや「坂本竜馬暗殺団の一人とされている見回り組の今井信郎の名」もあったという。著者が評して「命懸けの努力は、歴史の蔭に、馥郁として香っている」とする下りは、「武家の商法」ならぬ「幕臣の農法」の成功を静かに讃えている。