1世紀後のメンデルスゾーンを突き動かす
ライプツィヒでは、1週間に1つのカンタータを仕上げる時期もあったバッハですから、教会音楽の作曲に関しては、熟練の域に達していました。その彼が書いた、2組の演奏者、2組の独唱者・合唱団を用意して演奏しなければならず、全体が2部に分けられてトータルが3時間以上もかかるこの受難曲は、彼自身が相当に力を入れて作曲したことがうかがえます。疑いなく、バッハの頂点の作品の一つ、といっていいでしょう。
この作品を、先週登場したメンデルスゾーンが「初演100年後の復活上演」と銘打って、1829年にベルリンで演奏したのが、それまで、単なるバロック時代の作曲家のひとりとされていて、小品を除いて作品が忘れ去られていたバッハの再評価をもたらしました。ただ、実際には、マタイ受難曲は、1727年には上演されていたようで、「初演100年目」のタイトルは正確ではなかったようです。
「マタイ受難曲」は、イエス・キリストの受難を描くのみで、物語はイエスの埋葬場面で終わります。しかし、この曲に込めたバッハの宗教的・音楽的な熱い思いは、ほぼ1世紀後の音楽家メンデルスゾーンを突き動かし、結果的に、バッハ自身の「復活」をもたらしたことになります。
そして、それは、同時に「少し古い時代の音楽を積極的に聴く音楽ジャンル」、つまり「クラシック音楽」が誕生したいうことでもあるのです。
やはり、J・S・バッハは「音楽の父」と呼ばれるのがふさわしいわけですね。
本田聖嗣