この1月にパリで起きた「シャルリ・エブド」の襲撃事件は、風刺「画」の持つ衝撃力・破壊力の大きさを示した。日本では、2014年4月下旬に漫画「美味しんぼ」の「福島の真実」編の第22回で、放射線被曝と鼻血の問題をとりあげたことが大きな「騒動」になり、放射線被曝の影響に対する世論の分裂が明らかになった。この問題を正面から受け止めた労作が、「放射線被曝の理科・社会」(児玉一八・清水修二・野口邦和著 かもがわ出版 2014年12月)だ。「4年目の『福島の真実』」との副題がつく。著者の主張は以下の2つである。
「美味しんぼ」が投げかけた問題に取り組む
「原発がいいか悪いかということと、今度の事故による放射線被曝の影響が大きいか小さいかということと、この2つの問題は区別して扱うべきである。後者についてはあくまでも科学的な検討・検証にもとづいて論じるべきであり、影響評価に政治的な判断を持ち込むことがあってはならない。」ということ、そして、「低線量放射線の健康影響に関しては一般に『分かっていない』と言われているが、過去に蓄積された科学的な知見、あるいは福島事故後に獲得されたさまざまなデータによってすでに『分かっている』ことも少なくない。それを『何もわかっていない』かのように扱うのは事態をいつまでも混迷させるものであり、被害者救済にもつながらない。」ということだ。
この2つの主張について6つの章にわたってていねいな議論を行い、「美味しんぼ」の被曝量を無視した机上の観念論を批判する。「美味しんぼ」については、2014年5月17日付産経ニュースで、漫画評論の第一人者呉智英氏が、「今回の『美味しんぼ』の問題では、作品に表現上まずいところがあったのは確かだ。漫画表現にはドラマストーリーとドキュメントの2つがあり、ドキュメントの手法をとるときは事実を扱うことになる。漫画だから簡略化、抽象化するにしても、風評被害を生まないよう配慮が必要だった」としていた。
「科学的に考えること」の浸透を期待
この漫画は、2013年に朝日新聞と読売新聞が連載30周年を記念して「リアル美味しんぼ 究極vs至高の料理対決」をしたことがあるように、事実を追求すべき新聞記者が主人公だ。その意味を踏まえた上での報道がないのが残念だ。「知ろうとすること。」(新潮文庫 2014年9月)は、事故後の混乱の中、事実を科学的に分析してきた物理学者の早野龍五氏が、糸井重里氏と「科学的に考えることの大切さ」を語り合う素敵な本だ。
放射線問題の言説は、世の中に広く流布する「ニセ医学」に似ている面がある。日本におけるこのなんとも不可思議な状況を少しでも打開しようとネット上で発信してきたNATROM氏の「『ニセ医学』に騙されないために」(メタモル出版 2014年6月)もお勧めだ。報道の現場で「科学的に考えること」が今後浸透することを期待したい。
放射線問題について、本当の真実はないという両論併記的対応には、安易な価値相対主義的なニヒリズムを感じる。その日本でサンデルの「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房 2010)が震災当時一世を風靡したのは大いなる皮肉だ。地元紙が長期連載する「福島と原発」(福島民報社編集局 早稲田大学出版会)も3巻目が2015年2月に出た。最終章は「ふくしまは負けない」である。福島の人々は、開沼博氏が新著「はじめての福島学」(イースト・プレス 2015年3月)で示したように、中央メディア・知識人の上から目線の「ありがた迷惑」がふりかかる中でも、着実に復興に向けて歩みを進めている。
経済官僚(課長級)AK