私は、クラシック音楽と呼ばれる音楽を演奏する人間なので、よく、「クラシック音楽って...」というフレーズと共に、質問を受けることがあるのですが、実際は、「クラシック音楽」というジャンルはありません、と時々お答えします。それらの音楽は、それぞれ「その時代の最先端音楽」だったわけで、そのうちの歴史の淘汰に生き残って愛されている音楽のみが、現代の視点から見ると古い作品なので、とりあえず、「クラシック」と定義されているだけ、だからです。
一体、いつ「クラシック音楽」が成立したのか? 実は、ロマン派の時代、作曲家・指揮者・演奏家・指導者として幅広く活躍したフェリックス・メンデルスゾーンが仕掛け人だった気配が濃厚です。今日は、かれの代表曲、「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」の登場です。
指揮者としても活躍、音楽院創設・待遇改善交渉も
俗にいう「クラシックの4大ヴァイオリンコンチェルト」といえば、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーそして、このメンデルスゾーンの協奏曲のことを指しますが、この曲は、クラシックにあまり興味のない人でも大抵知っている、最も有名な旋律を持ちながら、他の曲に比べて、どこか控えめです。協奏曲という分野は、独奏楽器がヴァイオリンであれピアノであれ、それを作る作曲家の「代表的、かつ華やかな曲」となることが多いので、この曲の、優しさにあふれた、決して押しつけがましくない雰囲気は、そのままメンデルスゾーン自身の人柄を反映しているような気がしてなりません。
出身が貧しくて苦労した、という音楽家が多い中、メンデルスゾーンは、ユダヤ系の裕福な銀行家の家に生まれました。神童、といわれたぐらい音楽の才能に恵まれたため、早くから頭角を現し、急な病気でわずか38年の生涯だったにもかかわらず、この曲をはじめ、オーケストラ曲、室内楽曲、ピアノ曲、オルガン曲、歌曲などなど、たくさんの作品を残しています。
しかし、メンデルスゾーンの活躍はそれだけではなく、ライプツィヒで指揮者として活躍しながら、地元に音楽院を創設して若者たちへの教育を充実させたり、自分が率いるオーケストラの奏者の待遇改善を求めて、雇い主である市と交渉して、賃金をアップさせたりしています。
ロマン派当時の"懐メロ"を復活上演
さらに、彼は、その当時まだ「同時代の音楽」、言い換えれば「最先端の音楽」だった、現在のクラシック音楽だけを取り上げるのではなく、彼から見て、ちょっと前の時代――ベートーヴェンなどの「古典派」と呼ばれる人たちの時代――や、さらにその前の時代――バッハなどの「バロック」と呼ばれる時代――の音楽を、復活上演し、それらの曲をすっかり忘れていた当時の聴衆に、あらためて、魅力を紹介したのです。彼の演奏会のプログラムコーディネートによって、「少し前の時代の音楽」も「現代の音楽」に混ぜて演奏されるのが当然の習慣となり、ここに「クラシック(ちょっと古い)音楽」というジャンルが誕生してしまったのです。もちろん、メンデルスゾーンはクラシック音楽、というような言葉は使用していません。さしずめ、日本でいうところの「懐メロ」を、ヨーロッパ諸言語ではクラシック、と表現することにしたわけです。比較的新しい言葉だという証拠に、英仏独伊どの言語でも「クラシカル」「クラシック」「クラシッシェ」「クラシカ」というほぼ同じ言葉を使います。
メンデルスゾーンは、同時代人や後輩だけでなく、面識のない前時代の人たちのことも、自分が彼らの曲を演奏することによって、評価して、宣伝して、人々に繰り返し聴かれるように紹介していったわけです。これほどまで、他人を立てて、他人に気配りをした音楽家は、歴史上数少ないといってもいいでしょう。
「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調」はクラシック屈指の名曲として、よく演奏されますが、彼の他の作品は、もっと演奏されてもよいはずです。そこには、その後、ドイツを覆った反ユダヤ主義――実際、ナチス時代は、彼の音楽は演奏禁止になったり、いろいろひどい迫害を受けました――の影響がいまだないとは言い切れないのです。
そんな困難な時代を経ても、メンデルスゾーンは、ひょっとしたら草葉の陰から、今の現代の世界で、自分と自分以外の「クラシック音楽作品」が、これだけ広く聴かれているということを、ニコニコしながら見守っているような気もします。
本田聖嗣