自由と民主は西欧の専売特許?
まず、自由主義と民主主義を西欧独自の「思想」とするが、少し吟味が必要だ。
「自由」に精神的自由という領域を作り、民主主義と表裏一体で強く保護する仕組みを創ったのは西欧文明だ。だが「自由」そのものはより普遍的な理念だ。信長の楽市楽座に象徴される取引の自由はかねて日本に存在し、イスラム法上も自由の侵害は不正義と聞く。
同様に、民主主義を、自由な普通選挙に基づく議会制というシステムに限定して捉えれば、それも西欧文明の所産だ。だが社会的動物である人間には「多数決」もまた普遍的だ。中世の延暦寺での重要な意思決定は、覆面し声色を変えた全山の多数決で行われていた例もある。
仮に「自由」と「民主」を人間の根源的希求と見れば、その存在が近代化以前の日本で確認されるように、他文明でも例はあるはずだ。希求を制度化し統治機構に昇華したことは、産業革命同様、西欧文明の偉大な発明だが、発明は技術革新とも言いうる。技術と理念を峻別せず、崇高な理念は全て西欧文明発のように主張する姿勢は、人間本性への謙虚な省察を欠く。人間を省みずに、人間が引き起こす紛争の原因分析が可能か。主張の浅薄さを感じる所以である。