ここのところ、水をテーマにしたクラシック曲を取り上げていますが、今日は、古い時代、バロック時代の水に関する名曲の登場です。ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの「水上の音楽」です。
ドイツ語圏から"イタリア"...そして、ロンドンへ上陸
最近の中東やアフリカのニュースを見ていると、近代国民国家では当たり前の「国境」という感覚が、果たして唯一絶対のものなのか、と考えてしまいます。ヘンデルは現在のドイツの中部、ハレというところに生まれていますが、当時はまだ「ドイツ」という国はありませんでした。イタリアという国もまだ登場以前です。それでも、ドイツ語が話されている地域、という事実はありますから、多くの人は、その地域内で暮らすことが当たり前でした。ヘンデルと同年生まれのJ・S・バッハは、一生「ドイツ語地域」から離れることなく暮らしています。
ヘンデルは、実にエネルギッシュで、音楽に情熱のあった人らしく、先進的な音楽と、音楽が受け入れられる市場を求めて、軽々と国境――いや、言語的・文化的国境、というべきでしょうか――を超えます。クラシック音楽はもともとイタリアの発祥ですから、若いころは、イタリアに行き、一流の音楽家と交流をして、現地で作曲もし、活躍しました。その後、イタリアの音楽家の推薦で、北ドイツのハノーファーの宮廷楽長に就任します。当時は、イタリアの作品、とくにオペラが、最高のもの、とされていましたから、ヘンデルは、イタリアの作品に通じたドイツ系の音楽家ということで採用されたようです。
ところが、宮廷楽長に就任して翌年、彼はドイツの他の街やオランダを経由して、イギリスのロンドンに上陸します。ロンドンでもイタリア・オペラはもてはやされており、彼はさっそく、自作を上演して好評を得ます。その後一旦はハノーファーに戻ったものの、直ぐにロンドンにとって返し、以後は、戻ることはありませんでした。さらに、イギリスに帰化までして、ジョージ・フレデリク・ハンデルとなります。彼の嗅覚が、ロンドンの潜在的可能性を捉えたのでしょう。事実、ロンドンでイタリア・オペラの人気が下降してきたとみるや、すぐに切り替えて「オラトリオ」という分野の作品を作るようになります。 ドイツ語圏出身でありながら、イギリスの作曲家、とされることが多いのは、人生の後半をずっとロンドンで暮らしたからなのです。
宮廷楽長として仕えたハノーファーの領主が英国王に即位
国境を越えて活躍する、というのは、芸術家や技術者にとって、ままあることでしたが、同じくその雇い主たる王族や、教会も、国境を超えることが多くありました。特に、王侯貴族は縁組で国の命運を左右しますから、国境を越えての結婚・相続は、一大事でした。
ヘンデルが迎えられた、ハノーファーの宮廷の領主は、選帝侯ゲオルグ・ルートヴィヒという人でした。ドイツの1領邦主であった彼は、アン女王のあと、後継ぎがなかったイギリス王室を継ぐことになり、イギリス王ジョージ1世として、即位してしまうのです。現王室にもつながるハノーファー朝の始まりでした。実際にこの王様は英語もあまり得意でなく、あまりイギリスにやってくることはなかったそうですが、ハノーファー宮廷の帰国命令を無視して、ロンドンで活躍していたヘンデルにとっては、ちょっと困った事態になりました。
王が即位した翌年、ヘンデルは、王の川遊びのために「水上の音楽」という管弦楽組曲を作曲しました。その作品の出来が大変良かったために、王の機嫌が直り、以後関係が良くなった...という、文字通り「過去は水に流して」という逸話が伝わっています。
しかし、これは良くできた作り話といわれています。ヘンデルの作曲家、指揮者、鍵盤楽器奏者としての能力は傑出していたといわれていますから、ジョージ1世ことゲオルクも、もうひとりの「ジョージ」の国際的活躍をむしろ、歓迎していて、ロンドンでまた再会できたことを喜んでいたのではないでしょうか?
本田聖嗣