先週の「水の戯れ」を作曲したラヴェルと、人気、実力とも伯仲していたといわれる、同じフランスの同時代の作曲家に、クロード・ドビュッシーがいます。この人は、フラン時代の紙幣にも登場していますから、(旧20フラン札)、国民的作曲家といってもいいでしょう。
今日の作品は、ドビュッシーの代表作でもある、ピアノのための曲集「映像 第1集」の1曲目、「水の反映」になります。
奇天烈好き国民性が紡いだ「印象主義」的な音の世界
ドビュッシーは、ラヴェルよりは13歳年上、「水の反映」を書いたころには、すでに、フランスを代表する作曲家として名高い存在でした。彼は、フランス独自の音楽を作ろうとした、フォーレなどの流れを汲んでいますが、さらに、彼独特の音階や調性をつかい、いわゆる「印象主義」的な音の世界を作り出しました。若いころは苦労しましたが、オーケストラ作品の「牧神の午後への前奏曲」や、オペラ「ペレアスとメリザンド」といった作品で彼の名は一躍楽壇で評価されることになります。
ちょうどそれは、印象派といわれる画家たちが、アカデミーを離れて、自分たちの絵画を追及していた結果、独特の世界に人々が魅せられて、評価が高まっていた時期と重なります。
今では、印象派もドビュッシーも、フランスを代表する芸術家です。
フランスは、今も昔も、伝統を大事にするが、革新好き、という傾向があります。街並みにしても芸術にしても、グルメにしても、伝統は必ず踏まえるのだが、とても新奇でどこか奇天烈なものを喜んで受け入れます。そういった国民的性格が、彼らの芸術を紡いできたといってもいいでしょう。
川や海や池...果ては洪水まで好んで題材に
「水の反映」をドビュッシーが書いたのは、1906年。絵画では、もう後期印象派も終わろうかという時代ですが、ドビュッシーにおいては、「円熟期」でした。オーケストラの大規模な作品として、彼の代表作となる交響詩「海」を1905年に発表し、さらに評価を上げ、誰も彼の実力を疑わなくなりました。そして、満を持して、ピアノと管弦楽のための曲集「映像」を企画するのです。当初の企画からはいろいろと紆余曲折があり、まず最初に「映像 第1集」として、ピアノ曲3曲が発表されました。その1曲目が、これも水にこだわった曲であるというのは、彼自身はそう呼ばれるのは好まなかったそうですが、川や海や池や、果ては洪水まで好んで題材にした「印象派」絵画との共通性を強く感じさせます。
リストを源にピアノ曲の伝統の下を流れる地下水脈
この曲は確かにドビュッシーらしいハーモニーと、ピアノという楽器の特性を活かした、素晴らしい響きで水の様子を描写しています。しかし、当時のフランス音楽の先端を走っていたドビュッシーにしては、なぜいまさら、水にこだわりを見せたのか、少し疑問です。
これは、私の想像ですが、13歳年下だが、有力なライバルとなるであろう才能、ラヴェルに刺激されたのではないでしょうか。一回りも年齢が違うので、まだまだこの時のラヴェルは頭角を現し始めた、という段階でしたが、その彼が「水の戯れ」という名曲を1902年に発表しているのです。それは、すでに名のあるドビュッシーでさえ、衝撃的だったのでは...と思います。そして、その答えが、「水の反映」に込められているような気がしてなりません。
ラヴェルの作品はリストの作品にインスパイアされ、ドビュッシーの作品は、ラヴェルの作品に刺激されて生まれたとしたら、水によってつながる、クラシック曲たちの系譜、といったところでしょうか。もちろん、本人たちは、何も言い残していませんが、それは、地下水脈のように、ピアノ曲の伝統の下を流れているのです。
本田聖嗣