フランスを代表する作曲家に、「ボレロ」などで有名な、モーリス・ラヴェルがいます。
今日取り上げる曲は、ピアノも上手だった彼のピアノ曲の中で、最も有名な1曲、「水の戯れ」です。
ロマン派の作曲家にしてピアニスト、フランツ・リスト晩年の作品として、「エステ荘の噴水」を先週取り上げましたが、この曲は、実に多くの影響を後世の音楽家に与えました。あくまでロマン派風の音楽でありながら、新しい時代の響きがしたからです。リストにとって「刻々と変わる噴水の描写」だったそれらのハーモニーは、従来の、ロマン派の和声から一歩進んだもので、聴き方によっては、近代音楽につながる要素を持っていました。
リストの「エステ荘の噴水」に影響を受けたフランスの名曲
リストは「エステ荘の噴水」という実在する建造物とその庭の情景=ビジュアルから音楽を作りましたが、物事の描写という意味では、音楽よりもっと直接的な絵画も、同じ19世紀後半には変革の時を迎えていました。
一瞬も同じ表情を見せない水、というものに着目し、新たなる絵画芸術を開いたのは、イタリアの西北の国、フランスの画家たちです。日本でも親しまれている「印象派」の一派です。それまでのアカデミズム絵画は、意味を持たせた物事の一瞬を切り取る宗教的具象画がほとんどでしたが、そういった絵画を選ぶ、国のアカデミーの推薦展示会に落選した画家たちが、心に映る風景そのままを描こう、としたのが印象派の出発点でした。心象風景をキャンバスに留める画家たちにとって、「水」は格好の題材でした。印象派の画家たちが、池や川や、海を、盛んに描いたのは、偶然ではありません。
次から次へと表情を変える水の流れを描写
リストの作品は、本人の意図はともかく、音楽的における「印象派」的なハーモニーを先取りしたものだったのです。
印象派芸術が花開いたのは、19世紀末のフランスでしたが、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したラヴェルが、1901年、つまり20世紀最初の年に、作曲したのが、「水の戯れ」です。リストと同じようにピアノの技巧を必要とする曲ですが、水が自由自在に表情を変えて、たゆたったり、時には激しく流れたりする様子が描写されています。絵画ほど具体的に事象を描写できない音楽ですが、絵画とちがって、「時間」を追体験できますから、この曲を聴くと、あたかも、水の流れを次々に見せられている気分になります。
ごく普通の川や池や海の水は、定点で観察する限り、一定の似た動きを繰り返すだけのように見えますが、この曲に描かれた水は、次から次へと表情を変えます。 なぜかというと、この曲は、まさに人によって作られた水のアート、「噴水」を描いたものだからです。
原題にはリストの作品に対するリスペクトも
ここが翻訳の難しさですが、ラヴェルのこの曲の原題は「ジュ・ドー」。リストの曲の原題も、「ジュ・ドー・ア・ラ・ヴィラ・デステ」です。リストが「エステ荘の噴水」なら、ラヴェルの曲も「噴水」と訳すのが、よいのでしょうが、それではつまらない、と、「水の戯れ」という文語調の翻訳がなされ、広く知られています。確かに、噴水における「水の戯れる様子」を描写した曲にはふさわしいのかもしれませんが、かえってこの邦訳題名が、本来噴水であるという重要な要素を落としてしまっているために、作曲者の意図を曲げているような気がしてなりません。
そこには、人間のデザインによって動かされている水の風景、という意味と、印象派音楽の先駆としてのリストの作品に対する、ラヴェルのリスペクトも含まれているはずだから、です。
本田聖嗣