ヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」がオーストリアの第2の国歌といわれる名曲ならば、そのオーストリアに支配されていた現在のチェコを象徴する曲も、やっぱり川を題材にしています。日本でも人気の高い、ボヘミア出身の作曲家、ベドルジハ・スメタナによる「ヴルタヴァ」です。
日本では、ドイツ語の「モルダウ」という名前のほうが、まだ広く知られていますが、チェコの独立のシンボルとなった曲ですから、日本でもチェコ語の「ヴルタヴァ」で呼ばれることが増えてきています。アルファベット表記だと、ヴルタヴァと読めますが、チェコ語の実際の発音は「ヴェルタヴァ」に近いようです。
ロンドンにテムズがあり、パリにセーヌがあるように、国の首都となるような古い歴史を持つ街には川があります。川は歌に歌われたり、音楽に描写されたりしますが、この「ヴルタヴァ」ほど、川そのものを描いて有名になった曲はないのではないでしょうか。
チェコ独立の機運が高まった時に歴史を描く決意
この曲が成立するには、いろいろな事情もありました。作曲者スメタナは、あるとき、ヴルタヴァの源流を訪れる機会があり、そこで、川を主人公とした曲を構想しますが、すぐには着手しませんでした。しかし、その後、オーストリアの支配に対する、チェコの独立の機運が高まった時、スメタナは、チェコの歴史を主題とした、連作交響詩を書くことを決心し、その1曲として、川を描くことによってボヘミアの歴史と風景を表すことを考えたのです。
現代の欧州で、イギリス・スコットランドや、スペイン・カタロニアで独立を問う投票が行われたように、スメタナの時代も、貴族や王族、それも時には他国の支配者一族から独立をしようという機運が大変盛り上がっていました。
スメタナは、もとからチェコ独立の思想を持っていた、とされますが、実は、ボヘミアの生まれではあるものの、どちらかというと支配者の一族出身で、ドイツ語が日常語で、チェコ語は話すことがあまり出来ませんでした。一方、ヴルタヴァ川も、チェコに源流を持つものの、下流はドイツのエルベ川に合流してしまう川です。実際、チェコは、長年、ドイツ語を話す民族であるオーストリア帝国の一部として、栄えてきていました。チェコの独立と栄光を歌い上げるのに、川を主人公としよう、とは、スメタナ自身も最初は考えていなかったようです。
川を源流から大河になるまで音で描写
しかし、状況は変わります。すべては、タイミングだったのかもしれません。中年以降、スメタナは、チェコ語を猛然と学び出し、チェコの独立に一層、情熱をかたむけました。さらに、同時期に病気により、聴覚を失うという悲しい事態にもなりました。周囲の状況も、本人の健康もすぐれない中、かれは、かつて温めていた「チェコを代表する川を源流から、プラハ市内を流れるまで、音楽で描く」という構想を楽譜にしたためて、連作交響詩「わが祖国」の2曲目としたのです。
大変な情熱をもって書かれた「わが祖国」は、素晴らしい曲が多く、今でもプラハを代表する音楽祭、「プラハの春音楽祭」――これも、冷戦時代、ソ連によるチェコ弾圧の歴史にちなむ名称ですが――のオープニングでは、全6曲が通して演奏されます。
その中でも、だれにも愛される有名な旋律と、「川を源流から大河になるまで音で描写する」という優れた発想によって、第2曲の「モルダウ」こと「ヴルタヴァ」は、世界で愛される名曲となったのです。スメタナの情熱のなせる業でしょうか、「ヴルタヴァ」は、聴くだけで、チェコの風景と、苦難の歴史を感じさせてくれます。
本田聖嗣