年が明け創立101年目を迎えた宝塚歌劇。2014年12月の「タカラヅカスペシャル」で一連の百周年記念イベントを華やかに締めくくり、次の百年に向かって新たな歩みをスタートさせた。一部のファンの熱烈な支持を集めながら、「宝塚? いやちょっとね」と抵抗感をぬぐえない人も多いタカラヅカ。時に「お嬢さん芸」とスルーされ、時にはキワモノ扱いされることさえあるが、年間200万人以上の人が兵庫・宝塚や東京の劇場を訪れるのは、それだけ心つかむなにかがあり、ちょっと見には分からない奥深いものがあるはずだ。「ちょっとねー」というアナタのためにも、宝塚歌劇とファンが作りあげる、華麗かつユニークな世界を紹介しよう。
宝塚温泉に誕生した少女16人による「唱歌隊」
まずは基礎知識から。
宝塚歌劇の第1回公演は1914年(大正3年)4月に行われた。箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)の乗客誘致のため、終点の宝塚に「新温泉」を開き、少女のみの出演者による「宝塚唱歌隊」を組織したのがその始まりだ。初公演の前年、第1期生として16人が採用されている。仕掛け人は阪急・東宝グループの生みの親、小林一三。彼が残した「清く、正しく、美しく」の言葉は今も宝塚のバックボーンとなっている。兵庫県の山間の温泉地に生まれた少女歌劇は、戦争などの危機を乗り越え、現在では、東西に専用劇場を持ち、専属のスタッフと自前のオーケストラを抱え、養成機関である音楽学校までを備えた大組織に成長した。
宝塚は学校、退団が「卒業」
ホームグラウンドである兵庫県の宝塚大劇場と東京の拠点、東京宝塚劇場(千代田区有楽町)で、通年公演を行っているほか、他劇場での特別公演も頻繁だ。約400人の劇団員は、花、月、雪、星、宙(そら)の5組に分かれ、基本的には組単位で公演。このほか、どの組にも所属しない劇団員による「専科」がある。
宝塚歌劇はその創設期に、良家の子女を預かり音楽教育を施す、というコンセプトがあったためか、今でも「学校」の色合いが濃い。2年制音楽学校を卒業し、劇団員となっても、「生徒」と呼ばれ、その1年目を「研究科1年」(略して研1という)、翌年は「研究科2年」。さらに研5までは試験が行われ、首席から最下位まで序列がつく。退団が「卒業」となる。所属していることを通じ「宝塚=学校」的な感覚はほかの劇団にはみられない特徴だろう。
「ベルサイユのばら」の劇団ではなく...
宝塚大劇場は毎年元日から公演を行う(東京は通常1月2日から)。2015年の大劇場の正月公演は雪組の「ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―」。「ルパン三世」初のミュージカル化だ。101年目の宝塚は、お馴染みのあのテーマ音楽でにぎやかに幕を開けた。
宝塚といえば、おそらく「ベルサイユのばら」がいちばん広く知られているだろうが、実はその上演演目はかなり幅広い。オリジナルミュージカルやブロードウェイミュージカルはもちろん、いわゆる日本物、漫画やゲームを舞台化した作品からチェーホフまで、古今東西、時代の別なく、ありとあらゆるものを飲み込んでは宝塚流にアレンジして上演する。公演は芝居とショーの2本立てが基本で、一方のショー作品もいわゆるバラエティショーからヨーロッパ風のレビュー、ストーリー性を織り込んだものまで多彩だ。
14年は百周年の記念の年とあって、祝祭的な作品で1年をスタートさせるのかと思いきや、星組による大劇場の正月公演は、フランスの作曲家と組んだ野心的な一本ものの新作だったし、東京の雪組公演は周防正行監督のヒット映画「Shall we ダンス?」の舞台化作品。さらなる100年に向かおうという劇団の挑戦の気概をみるような幕開けだった。15年もまた「ルパン三世」という異色作品の選択でファンを驚かせた。ロングラン公演を行わず、「新作主義」を掲げる宝塚は、案外チャレンジングな劇団といえる。