【次の百年に踏み出した宝塚歌劇(1)】正月公演「ルパン三世」が示す"挑戦"の精神 起源は温泉の"客寄せ"だった

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   年が明け創立101年目を迎えた宝塚歌劇。2014年12月の「タカラヅカスペシャル」で一連の百周年記念イベントを華やかに締めくくり、次の百年に向かって新たな歩みをスタートさせた。一部のファンの熱烈な支持を集めながら、「宝塚? いやちょっとね」と抵抗感をぬぐえない人も多いタカラヅカ。時に「お嬢さん芸」とスルーされ、時にはキワモノ扱いされることさえあるが、年間200万人以上の人が兵庫・宝塚や東京の劇場を訪れるのは、それだけ心つかむなにかがあり、ちょっと見には分からない奥深いものがあるはずだ。「ちょっとねー」というアナタのためにも、宝塚歌劇とファンが作りあげる、華麗かつユニークな世界を紹介しよう。

  • 101年目、15年の正月公演「ルパン三世」(中央)など、さまざまな公演のチラシ
    101年目、15年の正月公演「ルパン三世」(中央)など、さまざまな公演のチラシ
  • 阪急今津線の軌道近くにある宝塚大劇場。建物背後に宝塚駅がある
    阪急今津線の軌道近くにある宝塚大劇場。建物背後に宝塚駅がある
  • 101年目、15年の正月公演「ルパン三世」(中央)など、さまざまな公演のチラシ
  • 阪急今津線の軌道近くにある宝塚大劇場。建物背後に宝塚駅がある

宝塚温泉に誕生した少女16人による「唱歌隊」

   まずは基礎知識から。

   宝塚歌劇の第1回公演は1914年(大正3年)4月に行われた。箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)の乗客誘致のため、終点の宝塚に「新温泉」を開き、少女のみの出演者による「宝塚唱歌隊」を組織したのがその始まりだ。初公演の前年、第1期生として16人が採用されている。仕掛け人は阪急・東宝グループの生みの親、小林一三。彼が残した「清く、正しく、美しく」の言葉は今も宝塚のバックボーンとなっている。兵庫県の山間の温泉地に生まれた少女歌劇は、戦争などの危機を乗り越え、現在では、東西に専用劇場を持ち、専属のスタッフと自前のオーケストラを抱え、養成機関である音楽学校までを備えた大組織に成長した。

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