「革命の嵐」が加速 父=宮廷派、息子=改革派
もともと、父・シュトラウス1世は、ヨーゼフ・ランナーという音楽家が率いる楽団のヴァイオリン弾きから身を起こし、自らの楽団を育て上げ、人気音楽家になった人でした。折からのワルツブームに乗り、民衆の踊りであったワルツが、ついに宮廷にまで採用されるという時代の波にも乗ったのです。その一方、家庭を顧みず、シュトラウス2世と弟たちを母のもとに残し、家を出る...ということもしました。そのため、シュトラウス2世は、父を同じ土俵で見返すといわんばかりに、母や周囲のサポートを受けて、父に対抗する形で、地元ウィーンデビューを飾ったのです。親子の才能は、ウィーンで火花を散らしたのです。
大体、親子という関係は、年長者である親が保守派、若い子供が改革派、となるのですが、この親子も似たところがありました。時代も関係しています。隣国フランスから「革命の嵐」がウィーンにももたらされ、ハプスブルグ帝国は揺れに揺れていたのです。息子2世は、当然市民による「改革派」に熱心に支持され、低い身分から、宮廷にまで認められた父1世は、「宮廷派」と、みなされたのです。