官吏は弱し 政治は強し
政策が一社の命運を左右するケースは現代行政でも一つの課題であろうが、政策の合理性を担保する道は険しい。立法作用には憲法以外の制約はなく、幅広い裁量があるからだ。
対立当事者の軋轢を解決する手段として、第三者が裁く司法の対審制と異なり、民主政治は多数決原理を用いる。既存事業者と新興勢力との政治的対立は、この故に、合理性だけでは割り切れないまさに「政治決着」に委ねられることになる。
ここに至って評者は「非理法権天」(別項【評者注】参照)を連想せざるを得ない。「人民は弱し 官吏は強し」の語は、この法諺になぞらえれば、人民の主張する「理」が官吏による「法」の運用よりも弱いことを端的に指す。しかし背後の政治を含んで考えれば、星が苦闘した件は、官吏による「法」の運用は政治の持つ「権」力の前に無力、即ち「官吏は弱し 政治は強し」ともなる。
仮に「政治は強し」が玉突きで「人民は弱し」につながるならば、政治と人民の結節点となる官吏の役割はやはり重い。公務員はこの構造に思いを致し、その身分保障が法令の厳正かつ公平な執行の表裏をなすことを忘れてはならぬ。本書はそうしたことをも示唆しているように、評者には思える。
【評者注】非理法権天(ひりほうけんてん)は、近世日本の法観念を表しているとされる法諺。江戸時代中期の故実家伊勢貞丈が遺した『貞丈家訓』には「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」と、非理法権天の意味が端的に述べられている。(Wikipediaより)
酔漢(経済官庁Ⅰ種)