中央政府と地方政府との役割分担をどう考えるか
本書で紹介されているアメリカ合衆国史は、連邦を創設した憲法を基軸として、200年以上に亘って個人の自由と平等の礎を積み上げる上での壮絶なまでの葛藤の歴史だった。この凄まじい歴史があるからこそ、そこに実現してきた民主主義の厚み、重み、強みがあることを体感させられたように思う。
ただ、米国の連邦が自由と平等の保障において重大な役割を果たしたことは確かだとしても、国家の中央政府一般が、どの時代のどの国でも同じような役割を果たすことになるとは限らない。本書で紹介されている同じアメリカでの事例として1857年のドレッド・スコット対サンフォード事件の連邦最高裁判決がある。ここでは、黒人奴隷とされたドレッド・スコットが自由人であることを主張する訴えに対し、原告適格性がないとしてこれが否定された。黒人は、奴隷であろうと自由人であろうと、憲法が想定している「市民」ではないというのがこの判決の論法であった。こういった発想に立つ裁判所、政府、議会には個人の自由と平等について重要な救済を期待することは出来ない。
中央政府と地方政府との役割分担をどう考えるか。これは現在の我が国にとっても重要な検討課題である。日本ではむしろ中央集権が行き過ぎたことの反省から、地方分権の推進が課題になっている。そういった中、中央政府が自らの役割の正当性を主張するとき、それによってナショナルミニマムとして人々の権利がどう守られ、利益が図られるのか、そのレゾンデートルについての認識が常に問われるべきであることを忘れてはならない。
総務省(課長)Victor