「連邦」が守られたがためにある人種差別の禁止
同書が紐解くアメリカ合衆国の憲法制定から今日に到るまでの歴史の中で、合衆国存立をも揺るがした最も大きな葛藤は、アフリカ系住人の奴隷制の廃止、そして、公民権を含む平等の権利を他のアメリカ人と同様に認めることを巡るものであった。個人の自由、そして、平等の権利を達成する。このことについて、大統領、連邦議会、そして、連邦の裁判所が常に好意的であった訳ではない。しかし、これらが米国全土で実現するためには、こういった基本的な自由と平等について、連邦の権限が州権を超えて機能することが重要であった。
20世紀も後半に到り、公民権を巡る運動はいよいよ高揚した。ケネディ大統領の遺志を受けた1964年公民権法は、連邦議会上院での57日間に及ぶ議事妨害を乗り越え、ようやく成立したが、その後なおも、その合憲性が法廷で争われた。これに決着をつけた最高裁判決でウォーレン判事達が公民権法合憲の論拠としたのは、憲法が上述のとおり連邦議会に通商規制権を認めていることであった。ハート・オブ・アトランタ対合衆国事件では、モテルでの黒人差別を連邦議会が禁止する権限を持つのは、黒人の旅行の困難性を除去することで州際通商が活発になるからだとする。カッツェンバック対マクラング事件では、レストランでの黒人差別を連邦議会が禁止する権限を持つのは、黒人にレストランが食事を提供しないことは他州からの食料購買の妨げになるからだとする。見方によっては牽強付会のようにも見えるこの論法は、各州の多数派がたとえ人種差別を行おうとしても連邦が憲法に基づきこれを阻止するのに必要なものであった。