リンカーンが守ったものは何だったか 憲法でたどるアメリカ合衆国の歴史

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「憲法で読むアメリカ史」(阿川尚之著、ちくま学芸文庫)

   ワシントンDCを東西に横切る軸がある。中心にオベリスクのようなワシントン記念塔が佇立し、東端に連邦議会議事堂が聳えている。この軸の西端にあるのが、巨大なギリシャ神殿のような白亜のクラシック建築、リンカーン記念堂だ。

   ここを筆者が最初に訪れたのは、短期留学で米国を訪れた30年も前、高校生の頃だった。

   エイブラハム・リンカーン。

   彼は、どうして、この壮大な神殿から米国を見守る存在とされるのか。そう問うた自分に対して当時のホストファミリーだった現地の生粋の共和党員は、事も無げに言った。決まっているじゃないか、ユニオンを守ったからだよ。

   昨秋、筑摩書房から従来の版を加筆訂正して出版された阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』を読んで、真っ先に思い出したのがこの30年前の問答だった。リンカーンは米国の連邦を守ったからこそあれだけ偉大なのだというこの想い。当時の自分にはその意味合いを十分理解できたとは言えなかったが、しかし、今から考えてみれば、ここにアメリカ合衆国の辿ってきた歴史の重大な要素がここに凝縮されていたように思う。

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南北戦争遂行の「手段」として使われた「奴隷解放」

   おそらく、多くの日本人には、リンカーンは、連邦を守ったというよりは、まずは、奴隷制の廃止に尽力した偉人として認識されているのではないだろうか。彼は確かに終生奴隷制廃止論者であり、最後までそのための憲法改正(修正第13条。その成立は彼の暗殺後だった。)にも尽力した。ただ、南北戦争中の有名な奴隷解放宣言(1862・63年)自体は、この本でも紹介されているように、連邦維持の戦争に勝利するための戦略的な色彩が強かった。解放されたのは連邦からの分離を宣言した南部諸州の奴隷のみ。ミズーリ、ケンタッキー、メリーランド、デラウェアの諸州は、奴隷制を採っているのにも関わらず、北軍で戦っていたために奴隷解放は適用されない。解放宣言の狙いが敵軍の後方撹乱にあったことは明らかであった。

   本書ではまた、リンカーンが戦争遂行のためにどれだけ強権を発動したかについても書いている。当時連邦正規軍は僅か1万3千人。リンカーンは、12万近い追加動員、戦費調達のための債務保証、南部港湾の封鎖といった措置を議会の事前承認を得ることなく講じていった(追加動員はその後事後承認。)。つまり、リンカーンにとってはまずは連邦を守ることが戦争遂行に当たっての目的であり、当初は奴隷解放さえもその手段として位置づけられた。

   戦争遂行が連邦を守るためのものであったことは、冒頭で述べたワシントンDCのリンカーン記念堂に刻まれているゲティスバーグでのリンカーンの演説(1863年)にも表れているという。日本でも有名な「人民の人民による人民のための政治は、決してこの地球上から消え去ることはない」という結びの下りは、『憲法で読むアメリカ史』では、「正統性の基盤を州ではなく人民に直接おいたアメリカ合衆国という政治体制が、この戦争を生き長らえたことを確認し、来るべき戦後の新たな出発を宣言するものであった」と言っている。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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