最近、「趣味は?」と尋ねられると、「ランニング」と答えている。今年の手帳を見ると、9月末までのランニング回数は100を超え、月に10日以上走っていることになる。中間管理職として、それなりに忙しいのに、一体何が面白くて、限られた余暇を、ひたすら走ることに費やしているのか、正直なところ自分でもよくわからない。「忍び寄る老いへの挑戦?」、「思うように進まない仕事のストレスのはけ口?」。どんな理由も当てはまるような気がするが、はっきり言えることは、周囲が思う以上に、本人は結構楽しんでいる。まさに「ハマっている」のである。
本書は、目下、「ランニング中毒」状況にある評者が、新聞の書評欄で見かけ思わず購入した、日本初のマラソン大会「安政の遠足(とおあし)」を題材として描かれた物語である。
いつの世も、宮仕えは大変
「家臣一同、鍛錬のため遠足(とおあし)を申しつける」
「50歳以下の藩士はすべて参加すべし」
安政2年(1855年)5月(現在の7月)、上野国(群馬県)安中藩藩主、板倉勝明が発した藩命で本書は始まる。
行程は、安中城から、有名な碓氷の関所を経て、熊野権現神社までの七里七町(約28.3キロ)。しかも全行程が上り坂で、標高差は1000メートル以上もある。現在、安中城址には「日本マラソン発祥の地」の石碑が立っているそうだが、今の時代、1000メートルも駆け上がるランは、「トレイルランニング」と呼ばれ、マラソンと区別されている。真夏に1000メートル以上の高低差がある30キロ近くの道程を走破しようというのは、相当無茶な企画である。
しかし、藩主の命なら、藩士がこれを拒むことは許されない。いつの世もサラリーマンは社命服従である。結局、記録によれば96名の藩士が走ったという。
武士とは言っても、泰平の世が長く続いた江戸末期においては、武芸よりも「読み・書き・そろばん」を基本とするお城勤めが日常となっており、「遠足」など非日常。サラリーマン侍にとっては、苛酷な「研修」だ。
とはいえ、本書では、露見しないように「駕籠」や「馬」を使う者、上役・同輩との人間関係を気にして、周りに合わせて走る者など、現代の会社にもしばしば見られるような人物が多数登場し、笑わせてくれる。