「十五夜」と「十三夜」
9月の中秋の名月は、現代でも広く知られていますので、今年も、ニュースで月見が話題になっていました。旧暦の8月15日の夜に月見をするという習慣...ややこしいのは、旧暦は、月を基準とした、太陰暦なのに、必ずしも天文学的な満月と、中秋の名月は一致しない、ということです。今年がまさにそうでした。現代の太陽暦に慣れた我々には、「閏月」があったりする旧暦は、とても複雑に思えます。
その時の月見のニュースで、もう一つ、昔の習慣として言及されていたのが、十三夜の月見、でした。今年は、10月6日だったのですが、これは旧暦の9月13日にあたり、平安時代の初期から、8月の十五夜と対になる形で、宮中で月見の宴が催されていたと、記録にあるそうです。
月がまん丸に見える満月のときに月を愛でるのは、理解できますが、十三夜という、「ちょっと欠けた月を見上げて月見をする」というのは、不思議な習慣です。なぜ、そうなったのかは、今もって謎ですが、とある落語家さんが、「男女の出逢いのきっかけを少しでも多く作るため」と言っていたのが、印象的で、案外、真相はそんなところで、きっかけは何でもよかった、のかもしれません。
ヴェルレーヌの詩につける曲を競作
このコラムで、中秋の名月のときには、クラシックの代表曲というべき、ドビュッシーのピアノ曲「月の光」を取り上げましたが、今日オススメするのは、同じフランスのフォーレという作曲家の、もう一つの「月の光」という曲です。実は、ドビュッシーも、ピアノ曲とは別に、もう一曲「月の光」という題名の歌曲を書いているのですが、なんでこんなに月の光―フランス語で、「クレール・ド・リュヌ」―という曲が多いのか、というと、フランスの象徴派の詩人、ポール・ヴェルレーヌが、「月の光」という詩を書いているからです。2人の歌曲は、同じ詩に曲をつけたものなのですね。すでに、ご紹介した「一番有名な」ドビュッシーのピアノ曲の方は、直接的な詩との関連は明らかになっていませんが、彼の頭にこの詩があったことは、ほぼ間違いないでしょう。
今日の主役は、ドビュッシーより少し年長で、フランス近代音楽の夜明けをになった、大作曲家にしてオルガニスト・ピアニスト・指揮者・教育家でもあったガブリエル・フォーレです。彼は晩年、ベートーヴェンのように耳の障害に苦労したのですが、その中でも、独特の和音とメロディの美しい曲を編み出しました。歌曲「月の光」は42歳の時の作品で、印象的な旋律で、彼の歌曲の中ではとても有名な作品ですが、クラシック音楽全体の中では、ドビュッシーのピアノ曲に知名度では遙かに差をつけられています。十五夜に対する十三夜の月見、の話を聞いて、思わず、私はこのひっそりしたフォーレの曲を思い出しました。