既存システムへの異議
本書は既存システムの課題をも提示している。
まず、政府の財源配分のあり方である。登場する学究幾人かは、霞が関の予算配分に対する不満、より端的に言えば、官僚の科学的知見のなさに不満を示す。これに、研究者も研究の意義を世に知らしめる努力が足りない旨の言葉が続く。一方的な批判だけではなく、双方の努力を促す姿勢だからこそ説得力がある。評者を含む無教養な一部の公務員は猛省するべきであろう。
もう一つの課題は、米国を中心としたビジネススクールに足らざるものだ。2000年以降に生じたエンロン破綻その他の経済スキャンダルでは、MBA取得者の深い関与が取り沙汰され、米国内外でMBAへの厳しい批判が生じた。規制の間隙は否定できずガバナンスを一層有効に機能させる必要があるのも事実だが、職業倫理が不足しているとの批判は真摯に受け止めざるを得まい。一部MBA関係者は「ビジネス倫理もMBAコースの必修だ」などと反論するが、責任逃れの詭弁を言うな。必修講座で倫理が血肉になるなら企業不祥事はとうに撲滅されている。現実を見るのがMBAの真骨頂ではないのか。
学問の最先端に触れることは、自然への畏敬や人間社会の壮大さなどに思いを至らしめる契機になる。米国人MBAホルダーの、時として過剰に傲慢と映る姿勢に評者自身も接した経験から敢えて述べれば、倫理欠如は傲慢から生じ、傲慢は謙虚さを自覚してこそ解消する。その謙虚さは、最先端の学問が示唆する偉大なものへの畏敬からも培えるのではないだろうか。
エンロンなど米国の巨額の不正などと比べれば、日本の公務員不祥事は少なくとも表面上は小粒のものに抑え込めている。が、権力は腐敗し易い宿命を持ち、その完全なる根絶は容易ならざることだろう。偉大な知の体系を垣間見て、己の小ささを思い知らされることは、同じく傲慢と批判されがちな日本の官僚にとっても無意味ではなかろう。自省を込め思う次第である。