「佞臣」のマスコミはしょせん傍観者
はしがきで、現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かもしれないとし、責任を負わない「大衆=帝王」となると、人類史上最大の暴君かも知れず、これは現代が抱える最も難しい問題かも知れぬとする。その場合、民衆の権力へのご追従をするものが生じる。「佞臣」といわれるものだ。国民全部が名君になるように直言して諌める者はない。日本国が破産するのではないかと危惧を感じつつも、民衆は、あらゆる要求をして一歩も譲らない。山本氏は、「佞臣」ともいうべきマスコミが民衆にゴマをすると救い難い状態になるといい、「『佞臣』は必ず『断固おやりなさい』とすすめても、諌議大夫(かんぎたいふ)のように、死を賭してもそれを思いとどまらせることはしないからである。」とする。しょせんは傍観者ということなのだろうか。なお、諌議大夫とは、君主が聖人の道をはずれると遠慮なく君主に諫言する専門職のことである。そして、「民主主義の破産は、民の無制限の要求にはじまる」とし、「それを克服する道は、「民主主義とは、民衆の1人1人が君主なのだ」という自覚をもつ以外にない」。民主主義の「守成」とは1人1人に、諫議大夫が必要だが、それが不可能なら、「書物としての諫議大夫」の言葉を読むしかないとし、「貞観政要」はさまざまな示唆をあたえてくれるとするのである。
山本氏は、「兼聴」(情報を吸い上げる)、「十思」「九徳」(身につけるべき心構え)、「上書」(全能感を捨てる)、「六正・六邪」(人材を見わける基本)、「実需」(虚栄心を捨てる)、「義」と「志」(忘れてはならぬ部下の心構え)、「自制」(縁故・情実人事を排する)、「仁孝」(後継者の条件)、「徳行」(指導者(リーダー)に求められるもの)といったところを氏の感想もまじえて紹介している。組織人であるものには一読の価値ありの1冊だ。
経済官庁(課長級)AK