【霞ヶ関官僚が読む本】
「平民宰相」原敬、マルクス主義的歴史観による評価もなお別格の政治家

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「現実政治家」「力の政治家」としての原敬像の先駆

   しかし、服部にマルクス主義的歴史観に基づく原敬の史的評価の位置付けへのこだわりはあったとしても、実際に読者の印象に残るのは、伊藤や陸奥など、並み居る明治の元勲を凌駕する卓越した政治力を備えた「政治家」原敬の姿である。職業政治家としての矜持を持ち、現状認識の確かさに裏打ちされた決断により、山県閥や貴族院の牙城を確実に突き崩し、しかも彼らを利用するしたたかさ。自らの権力基盤である政友会を、政権担当能力を持つ国民政党に脱皮させる手腕。原敬の面目躍如である。同時代の人、尾崎行雄の「近代怪傑録」を読むと、原敬に対する冷淡な記述が目につくが、(尾崎の議会人としての価値は認めるにしても)所詮政治家としての格が違うと痛感される。近現代日本の政治家の中でも原敬ならば、シュミットやウェーバーなどの政治家像に基づく評価にも耐えうるのではないだろうか。

   戦後間もなくの時期に、服部が描いた原敬が、テツオ・ナジタや三谷太一郎らが提示し、その後、一般的となった「現実政治家」「力の政治家」としての原敬像の先駆となっているのは間違いない(岡義武などは、戦後の原敬評価の高まりを否定的にとらえ、西園寺に重きをおいているが。)。この服部が作り上げた原敬のイメージを裏打ちしたものが、「原敬日記」の公開である。下巻のあとがきを読めば明らかだが、上巻執筆時には、「数十年の後は兎に角なれども当分世間に出すべからず余の遺物中此日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」との遺言を尊重し、「原敬日記」は一部を除いて公開されていなかった。服部は、上巻で原敬を扱うための材料として主に前述の前田蓮山の著書を活用している。しかし、5年のブランクを経る中で、服部自身も関わる形で原奎一郎等による「原敬日記」の刊行がはじまった。政治家として脂がのり、桂園時代の政界を自在に動かす原敬の活躍が、下巻最後の三章の中心主題となるが、そこでは日記からの引用が効果的に用いられている。

【霞ヶ関官僚が読む本】 現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で、「本や資料をどう読むか」、「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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