矯正医官による真摯な警告
著者が社会や教育の歪みを指摘する所以は、闇を見続けた経験を裏打ちに、世に警句を発するものであろう。傾聴に値する。
「この国ではちょっと把握しがたい数の『中絶胎児』が『一般ゴミ(生ゴミ)』として処分されているという」が、中絶の議論や対策は「臭いものに蓋」で立ち消えが常であり、この「問題提起もほあんと消えてしまった」とした上で、著者は指摘する。「胎児も生命であり、人である。これを重く考えられないで、どうして幼児を、学童を、仲間を、老人を大切にできるだろう…かつて『神戸事件』の酒鬼薔薇聖斗は『人間は野菜だ』と言った。それに社会は驚倒した。一方で生命が生ゴミあつかいされるのをうやむやにしておきながら、生命を野菜と言ったサカキバラセイトを『化け物、怪物』と我々は呼べるものだろうか」。
ネットの陥穽も俎上に載せる。「子のケイタイ つながる異界のあるらしく 深夜ひそかにわらふ声する」との歌が紹介されるが、その異界を「頭上」に置く本書のタイトルに著者の危機感を感じるのは評者だけではあるまい。引きこもっていてもネットで外界の様子は「それなりに」知りうるが、それでは現実社会に対処できぬ。その理由を、この熟練の元医官はこう説明する。「ひとつひとつの場面を肌で感じて修正されたノウハウを積み上げておらず、人間関係を拡げてゆく基本的な技術に不足があるからである。打ちひしがれて逃げ帰り、限られた空間の中で、ますます現実からずれてゆくという悪循環を強化してしまう」。ネット上で、明らかな虚偽がそれを信じたい人間により増幅・拡散される様と重ねあわせると、ことはもはや少年個人の病理に止まらないと思わされる。