【霞ヶ関官僚が読む本】
夏になると読み返したくなる昭和史の名著

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「昭和天皇とその時代」(升味準之輔著、山川出版社)

   今年は、敗戦から69年目の夏である。夏になると読み返したくなるのが、故・升味準之輔東京都立大学名誉教授の「昭和天皇とその時代」(山川出版社 1998年)だ。升味氏は、「55年体制」という言葉を生んだ、戦後の日本政治史の第一人者である。

膨大な記録から歴史を「追体験」する著者

昭和天皇とその時代
昭和天皇とその時代

   「はじめに」の10ページだけでも読めば、「天皇制と軍隊」という、戦前の日本の運命を決した主題に思わず引き込まれていく。升味氏は、戦中派の「偏見」だとするが、その「奈落の経験」からくる、昭和天皇を中心とした昭和史の名著を、我々に遺した。

   別に、「なぜ歴史が書けるか」(千倉書房 2008年)という、歴史家はどのようにして歴史を書くか、を考察した著作もある。その第一章は「資料と追体験」で、歴史家の「追体験」を述べているが、「昭和天皇とその時代」でも、膨大な資料を読み進めるうちに、天皇と周辺の人々が、升味氏に訴えかけてくるという。その文章には「一種の陶酔」が表れる。

敗戦と占領の時代…日本近代史に生じた最も深い断絶

   この作品の冒頭で「年々歳々八月一五日がやってくる。あの日は、晴れ上がった暑い日であった。私は、陸軍船舶二等兵で、瀬戸内の小島の磯の断崖に舟艇用の横穴を掘っていた。…(中略)…。たしかに私は、敗戦と占領の時代を生きていた。しかし、生きていただけでは、歴史はわからない。いまからふりかえれば、あれは、日本近代史に生じた最も深い断絶であった。幕末維新からはじまった近代史は、ここで崩壊し、その奈落の底から二度目の近代史が這いあがってきたのである。」という。なんとも素晴らしい書き出しだ。

   また、次の段落で、戦後史の発端を要約しているが、「マッカーサー憲法草案」は「天皇制を徹底的に民主化し、天皇を象徴として存置する一方、日本軍国主義の復活を恐れる国際世論をなだめるために戦争放棄を宣言した。日本政府は、屈辱に身をふるわせながらマッカーサー憲法案を受け入れ、これによって国体は護持されたとしたのであった。要するに、新憲法は、国体護持の悲願と占領統治の必要との抱き合わせだったのである。」とする。最近、議論がかまびすしい日本国憲法の誕生の歴史的文脈を冷静にみつめる。

「開戦と終戦」の緊張度の高い叙述に息を飲む

   どの章もお勧めだが、特に、第3章の「開戦と終戦」の緊張度の高い叙述には、息を飲む。冒頭の「天皇は、戦争を回避したかったにちがいない。そのために努力した。しかし、平和主義者だったであろうか。絶対的平和主義は、思想家か宗教家の信条である。帝国主義政治家は、平和を欲するとしても、同時に国益を守らねばならない。だから、戦争準備をおこたらない。しかも、国益拡大のために、自衛とか正義とかの口実を設けて、戦争をしかける機会をねらう。それらの機微は、ほとんど識別しがたい。それが帝国主義的平和主義である。」としているのは、きわめて政治学者らしい考察だ。天皇がなんとか抗戦派を押さえ込み、終戦に持ち込んだ経緯をよどみなく叙述し、「敗戦の最大の成果は、軍隊の全廃であった。天皇も軍国主義にコリゴリしたということである。」という。

歴史は美学をきらうがごとく

   「はじめに」は、以下のように締め括られる。「大日本帝国の興隆と没落はその軍隊にかかっていたこと、天皇がその大元帥であったことは、意識の底に沈んでしまったのかもしれない。天皇はこれについて明白な言明を避けてきた。そして、ついに天皇の声をきく機会は失われた。釈然とはしないが、そういうものかもしれない。歴史家は、歴史に美学を求めるべきではないのであろう。残念ながら歴史は、美学をきらうがごとくである。」と。

経済官庁(課長級)AK

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