霞ヶ関官僚が読む本
治る見込みが無くなったとき、患者はどうなる、医師はどうする

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両者の溝は埋まるのか――患者も医師も共に死にゆく存在であること――

   立場の異なる患者と医師。そして、治すことができない病がある以上、「治す」治療が不可能となった時点で、両者の思いは平行線となってしまう。

   では、両者の溝は決して埋まらないものなのか。

   本書でも、この答えは与えられていない。しかし、ベテランの外科部長と若き外科医との会話の中で、両者は決して対立する存在ではないことが、示唆される。

「君は患者だけが死に直面しているように思っているかもしれんが、そうじゃない。我々医者だっていずれ死ぬ。それは患者も医者も変わりはない」
「患者が死にゆく側の人間で、医者は生きる側の人間というわけではない。医者が認識を変えれば、患者との隔たりも消えるんじゃないか」
「医者は、治らない患者でも、あきらめずにできるだけのことをする。そして、最後はきちんとお別れをする」
「病気は不幸だけれど、二人が出会えたことを互いによかったと思えるような別れ。最後に心が通じ合えば、最良の別れじゃないか」

   確かに、多忙な診療現場で、このような理想的な関係を築くことは容易なことではないだろう。しかし、「死」は、一人ひとりの人間にとって、人生の総仕上げ、決定的な出来事であり、医師にとっても、むしろ、その職業人生を納得できるものとするために、大切なプロセスではないだろうか。

   治療を諦めきれないでいた患者が、死の間際、ホスピスの病床で遺した一言が心に残った。

「患者の希望は、病気が治る、ということだけじゃない。医者が、見離さないで、いてくれることが励みになる。そしたら、勇気が出るんだ…死ぬ、勇気が」

厚生労働省(課長級)JOJO

【霞ヶ関官僚が読む本】 現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で、「本や資料をどう読むか」、「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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