本書の指摘する「フィルターバブル」の課題
本書は、様々な情報を活用した「フィルターバブル」の進展が、我々や社会にどのような影響を与える可能性があるのかということを、インターネット時代のメディアや情報社会の在り方の視点を交え、下記のような指摘を行っている。
第一に、「パーソナライズされたフィルター」は「クリックしたもの」や「シェアしたもの」から興味関心事項を推定され、類似した傾向の表示を示すため、新規アイディアや学びに遭遇するチャンスが少なくなるとともに、自らのアイディアに近い内容を繰り返し示されそれをクリックすることにより選好傾向を強め孤立していく「自分ループ」の可能性がある。
第二に、今後フィルターが深化することにより、どんな説得が効果的かという「説得プロファイリング」や「感情分析」などにより、利用者の購買活動や政治活動など利用者の言動や意思決定に影響を与えていく可能性がある。
第三に、このような「パーソナライズされたフィルター」は、対象者がどういう人で何を好むのかという「プロファイリング」を踏まえてコンテンツやサービスを提示するが、対象者は自らがどのようにプロファイリングされているのか把握できず、誤ったプロファイリングが行われても訂正が困難である。
第四に、インターネットが利用者に情報を伝える「メディア」となる中で、編集方針である「フィルター」の開発方針や内容が明確化されておらず、情報の非対称性があり、利用者はその適正性を判断し難い。
第五に、「大衆」がフィルターバブルにより分断化され、重要だが複雑な社会的問題を公の課題として共通的に認識することが困難となる可能性がある。
第六に、「フィルター」を作る「コード」を作る技術者や経営者達は、倫理的、政治的な意味合いを認めたがらず、マネタイズの圧力の下で、パーソナライズの精緻化は技術的に決定付けられたものという立場をとる傾向が見られる。
このような本書が指摘している論点には、既に現実となった部分と、将来の可能性として想定されうる部分が混在しているが、このようなインターネットにおける「フィルターバブル」の性質と可能性について認識を持つことは重要であろう。