興味深い生い立ちの本である。
ある学校の生徒が「夏休みに山野を駆け巡って感激しながらチョウを採集し、美しい標本を作」り、課題として提出したその標本のそばに、友人たちの感想を書いてもらうノートを置いた。しかし書き込まれたのは「この殺蝶鬼死ね!」「おまえみたいな奴が自然破壊の元凶だ!」「自然を愛さない奴は地獄に墜ちろ!」等の言葉であり「感嘆や賞賛の言葉はどこにもみられなかったという」。深く傷ついた少年は、昆虫採集はそんなに悪いことなのでしょうか、と、筆者らの一人に相談の手紙を書いてきた、これが「本書を出す一つのきっかけとなった」とある。
老境の(失礼)著者らの、虫取りをする子供への温かい愛情を感じさせる挿話である。手紙を書いた少年は、本書でどれほど励まされたことであろうか。
自然破壊の「真犯人」を指摘
本書は、このような経緯もあり、昆虫採集と標本作りを強く弁護、推奨する。
主張の要点をまとめれば、採集によって絶滅した昆虫はない、乱開発こそが問題だ、採集と標本作成は観察力や集中力を養う教育効果が大きい、野山を巡るので身体も鍛えられる、よって昆虫採集は「学問・芸術・スポーツ・娯楽の要素を全て兼ね備えた素晴らしい趣味である」といったところだろう。かつて台湾では蝶を毎年三千万頭も採り標本として輸出したが、その生息数は一向に減ることがなかった、などと知らされると、昆虫の繁殖力に改めて驚かされる。
他方で、筆者らは生命や倫理には言及しない。当然だろう、弁護しようとすれば検察側のストーリーとは別の次元の議論が必要だ。
筆者はいう。「昆虫採集を悪と決めつけて何の害もない採集家を指弾し、採集禁止の法律や条例をつくって子供たちからこの趣味を奪った人たちは、一方で農薬やブルドーザーによって自然を破壊し、無数の虫の命を断っていることには目をつぶっているが、いつになったらこの誤りに気がつくのであろうか」。昆虫減少の「罪」に問われた昆虫採集家と子供たちのために、「真犯人」を告発せんとするこの弁護人の弁論を、陪審員たる読者はどう受け止めるだろうか。