古典文学の人気は根強い。その定番ともいえる枕草子と万葉集を、朝日と読売の2紙がそれぞれにとり上げた。人間の営みから自然を感じた清少納言は、「春は曙」以下四季の風景をどこから眺めていたのか。時代によって変遷する万葉の読みと解釈。どちらも現代に通じる研究を盛り込んである。
ただ一点、ひっかかる。その魅力を礼賛する評者が、一方は著者の弟子、一方は研究世界のいわば同業者。ともに素人よりは専門家にと感想を求めたのだろうが、身内の追従や遠慮が入ることはないのだろうか。せっかくの魅力ある著書が傷をなめあうような評価にまみれるとしたら、もったいない。ネットにあふれる素人の感想のほうが的確なこともある。【2014年6月29日(日)の各紙からⅡ】
「二人で枕を伏して逢瀬を」とは
『「枕草子」の歴史学』(五味文彦著、朝日選書)は、官職名を『職事補任』『公卿補任』など記録文献から洗い出して、人物を当てはめていく手法も駆使して丁寧に読み解いた。そこから清少納言の人間関係や感受性をこつこつと拾い集めて、古典研究に新たな解釈を提示してみせる。
「二人で枕を伏して逢瀬を楽しむのが良い」と、この宮廷美女(?)は、なんとも大胆なことを感じておられたらしいというのだ。枕を交わして眺める四季の風景。ベットシーンも言いようかなどと俗な読書をしてはいけない。美しい表現そのものに、さすがの趣がある。
「彼女の卓抜した自然観と人間観とは、平安時代を彩るとともに、現代に継承されるのである」と、朝日新聞の評者・本郷和人さん。これはこれでよいのだが、この人は著者と師弟の関係。この点を考慮の上で記事を読まなければならない。同じ称賛でも、他の人がすれば説得力はいっそう増したはずだ。「社会の公器」とされる新聞は、身内同士の同人誌ではない。
ネット上には、この本に「筆者の丁寧な仕事ぶりには脱帽」という賛辞がある一方で、「ごく当たり前のこと」と硬軟の評が並ぶ。「春は曙の章段が、男と寝た後の翌朝という指摘は、少し行きすぎているとも思われた」との感想もある。こうした批判もなくてはおかしい。
平安、鎌倉、「忠君愛国」時代で変わる味わい方
『万葉集と日本人』(小川靖彦著、角川選書)は、成立以来1200年、時代により大きく変化する味わい方を検証した。「この上なく正確」と、読売の評者・万葉学者の上野誠氏。
平安、鎌倉などそれぞれの論理でいかに読み継がれてきたかがわかる。「忠君愛国の書」とされたことも。今後、集団的自衛権の書なんてことには、まさかならないだろうが。
(ジャーナリスト 高橋俊一)
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