乳がんが発覚、手術・治療にたえ…
恵恵さんと岡崎さんの、あるいは、2人の家族の物語は、この直後から急転回する。北京に帰って挙式の準備をすすめていた恵恵さんに乳がんがみつかり、岡崎さんは北京に飛び看病を続ける。手術、結婚式のキャンセル、つらい化学治療…。岡崎さんは、化学治療の副作用で髪が抜け落ちた恵恵さんに合わせて丸坊主にするなど彼女の力になるよう努め続けた。
この年の12月までに化学治療を終え、恵恵さんは元気を取り戻し、岡崎さんともども北京で就職を果たす。そして07年9月、2年前にキャンセルしていた、2人の母校・関西学院大学チャペルでの結婚式を実現させた。
恵恵さんと岡崎さんは、それまでと同じく、北京での生活を続け08年には北京五輪と前後してカレー店を開業するなど、新しい試みに挑戦するなどしていた。しかし翌09年に事態はまた急転。がんの再発が見つかったのだ。
その後、恵恵さんの容体は小康状態、悪化、転移を経て、岡崎さんの献身的看病にもかかわらず11年6月に亡くなった。