可能性の検討なく、馴染みのある「戦略」で対処
戦略、戦術、計画と言われ続けた軍人たちが、なぜ開戦を選んだのか。それは戦略を忘れたからではない。馴染みのある「戦略」をもって対処しようとしたことで、逆に、自分たちが「戦略的」に扱える範囲の物事しか見なく、考えなくなってしまったからではないか。
だから、今後の国際情勢についてあらゆる可能性を真摯に検討することもなく、また、戦争に負ければ帝国自体がなくなってしまうのだといった根本を見つめることもなく、コップの中の戦略を追い、ひたすら論理と修辞を駆使して、落としどころとなる曖昧な「国策」の合意を導こうとした。その結果が開戦だった。
これを、著者は、「開戦三年目からの見通しがつかない戦争は、どうなるかわからないにもかかわらず選ばれたのではなく、(略)どうなるかわからないからこそ、指導者たちが合意することができたのである。」と、皮肉を込めて分析している。
むやみに「戦略的」であろうとすることが、かえって何の戦略性もない意志決定をもたらす。己の知識と経験が及ばない領域に目を向けよ、もっと謙虚であれと、西浦は言いたかったのではないか。
総務省 名ばかり管理職