情緒的質感を感じるのは「幻想」
こうした時間的な錯覚に基づき創造された「私」が、何となく寂しいとか、ワクワクする喜びなどの情緒的な質感(クオリア)を感じるのは、生存に有利となるよう、「エピソード記憶」にメリハリをつけて記憶するため進化の過程で人間が獲得した「幻想」に過ぎないと分析している。
すべての行動を予めトップダウンで集中管理する「私」というものは存在しない。だから、筆者はロボットだってプログラムに基づく反射的な行動をあとから「事前に意識した」と記憶するプログラミングをすれば「私」なるものが生まれると考えているようだ。そして、そもそも実体がない情緒的な質感についても、将来的にはプログラミングは可能になると予想し、ロボットも「心」を持てるようになると説明している。