判断にあわせてデータを作る悪弊を指摘
著者は、この演習経緯と合わせて、第3次近衛内閣と東条内閣における開戦決断への経緯をたどることで、当時の日本の意思決定システムは何故必敗の戦争を回避できなかったのかという問題を提起している。そして、国務と統帥の二元制という帝国憲法の一大欠陥に加えて、もう一つ、データに基づいて判断するのではなく判断にあわせてデータを作るという悪弊があったことを指摘する。開戦後の石油の需給見通しは、開戦・避戦をめぐる大本営・政府連絡会議での最大の論点の一つであったが、企画院が示した数字について、「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということを皆が納得しあうために数字を並べたようなものだった」という当時の担当者の発言を挙げている。これについて筆者は、さもありなんと思うのだが、一方では、そもそも南方に武力進出しなければ2年で石油の備蓄が枯渇する状況に追い込まれた時点で既に敗戦しているのであって、どんな数字であれ結論に大差なかったのではとも思ってしまう。もっと早い段階で、米国に石油を禁輸された場合の影響の重大性が正確に把握され、それが国務・統帥の首脳に認識されていなければならない。そういう仕組みになっていなかったことがより大きな問題だと思う。
いずれにせよ、冒頭紹介した先輩のおっしゃる通りの本であった。着眼の優れた力作である。ただ、巻末に付されている著者と勝間氏の対談については、江戸前の寿司屋で小肌や煮蛤を食べた後に、コンビニの人気スィーツを出されたような気分になった。やはり筆者が僻目で読んだからであろう。
経済官庁(Ⅰ種職員)山科翠