日本を覆う閉塞感を打破するのは、政府ではなく、あくまで民の力だ。そのあたりまえの認識が、この20年の低迷の教訓からやっと一般にも浸透してきたようにみえる。ただし、ユニクロのようなオーナー企業を除けば、元気のある日本の大企業はそれほど多くはない。特に、ソニーやパナソニックなど日本を代表する大手の電器産業は、この時期、過去の成功体験から脱することができず、大いなる苦戦を強いられた。そのあたりを描いた代表的なものとして、「さよなら 僕らのソニー」(立石泰則著 文春新書 2012年)や「松下幸之助が泣いている 日本の家電、復活の条件」(岩谷英昭著 朝日新書 2012年)があげられる。
鎖国からグローバル化に直面した明治の企業家たちの手腕と発想を振り返るのも、有意義だ。中央公論新社の歴史に残る企画「シリーズ 日本の近代」の1冊である宮本又郎著「企業家たちの挑戦」(中公文庫 2013年、単行本 1999年)は、「経済戦略における人間の持つ戦略的重要性を再認識する」ことの重要性を指摘する。
京浜工業地帯の基礎築く
同書で「旺盛な企業家精神を瞠目」された浅野総一郎の生き様を活写したのが、「九転十起」(出町譲著 幻冬舎 2013年11月)。副題「事業の鬼・浅野総一郎」である。富山から夜逃げ同然に上京した総一郎は、サクという働き者の妻を得て、猛烈に働いた。夜逃げ前、故郷の恩人に「七転び八起きで足りんなら、八転び九起き、九転び十起きでもしたらいいわ。大事なのは起き上がることだ」と言われて奮起した逸話が本の題名となっている。
彼を認めた渋沢栄一の紹介で、不採算だった官営のセメント工場を取得、その立直しに成功し、その実績をもとに、炭鉱、製鉄、港湾、海運、造船事業に進出した。戦前を代表する銀行家安田善次郎の援助を受け、京浜工業地帯の基礎となる鶴見・川崎地区の一大埋立事業を行ったことは特筆される事績とされる。
浅野や安田は同時代では世間の評判はよくなかったという。安田は暗殺にあっている。皮肉にも、戦後の成功の中で、日本の企業家は、スマートになり、「官僚化」が進んだ。出町氏がエピローグで指摘するように、企業利益だけでなく社会的な利益もあわせて追求しようとした明治期の企業家のがむしゃらさを復活させてほしいものだ。