政党政治、普通選挙が実現した直後に「崩壊の時代」
ただ、民主主義の成長の過程は、その後円滑に進み続けたわけではない。鈴木淳氏の著作は、明治憲法発布に到る過程と発布当日の儀式の詳細を述べて興味深いが、そこではまた、伊藤博文らが、新しく設けられる議会が国政に直結しないように行政府側に議会に対抗できる態勢を構築することに腐心する姿が描かれている。坂野潤治氏の著作は、大正デモクラシーを、デモクラシーが実現した時代というよりは、デモクラシーへの運動の時代であるとしている。政党政治と普通選挙が実現したのはまさにその時代の終わり、大正14年のことだった。そのふたつが実現した後やってきたのは、しかし、同氏の述べるように、対外危機と軍事クーデターと経済危機の「危機の時代」であった。昭和初めの日本はこの危機を克服できない。著者は、宇垣一成の言葉を引用しつつ、当時の政治状況について、政党、軍部、官僚が四分五裂していたと叙述する。中期的に安定した政権運営が困難となってしまい、当時期待された第一次近衛内閣もこの分裂を固定化して包摂したものに過ぎなかったから、「基本路線もなければ信頼できる与党的勢力もな」かった。そして、この後に来たのは、「異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに『崩壊の時代』」であった。