五箇条御誓文「万機公論」に結実、立憲政治に昇華
鈴木淳『維新の構想と展開』(平成14年、講談社)は、この「公議輿論」の思想が、維新政府の方針として、五箇条御誓文(慶応4年)の「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」の条などに結実したと説明する。そして、御誓文の「万機公論」は、維新政府自身にとってのスローガンにとどまらず、これに対抗した自由民権運動の方でも立憲政体を求める旗印になったという。そして、御誓文自体は、立憲政治の成立という形で昇華され、その後は顧みられることが少なくなったが、明治憲法の権威が揺らいだ戦後社会の出発点においては、「新日本建設に関する詔書」(昭和21年)で、この御誓文が引用され、その構想として再度掲げられたと述べている。
日本の民主主義の端緒が、このように幕末の切迫した時代に産まれたのはどうしてなのか。それは、国が困難を乗り越えようというときには、民意の裏付けがあってこそその総力を結集させることができるということに多くの人々が気づいたからなのだろう。それが国是として王政復古に際して結実したのが「万機公論」だった。