結局、頼りは社会・制度・システムと気づく
厳しい闘病生活が続く中で、著者は、徐々に、自らの生活を切り拓いていく。
そのきっかけの一つは、発症当初から様々なサポートをしてくれた友人達が負担に耐えかねて、次第に離れていくという経験。著者が以前、支援していたビルマ難民と同様、今度は、自らが「難民」となっていることに気づく。不安定な援助は一時凌ぎにはなっても、苦境の根本的な解決にはつながらない。ビルマ難民が真に当てにしていたのは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の援助米、NGOが運営する病院、IOM(国際移住機関)による第三国定住プログラム。つまり、社会や制度による公的なシステムであった。「困ってるひと」にとって、最終的に頼れるものは社会の公的な制度であると知る。
しかし、制度が確立している障害者施策と異なり、難病対策は遅れている。著者曰く「ここは、マリアナ海溝なのだ。難病患者は、『制度の谷間』に落ち込む、福祉から見捨てられた存在だった」。結局、著者自身が「モンスター」と形容する日本の社会保障制度とたたかい、そこから、自分が生きていくために必要なものを獲得していくことこそが、自らを救うことなのだと悟る。
「いま、『絶望は、しない』と決めたわたしがいる。こんな惨憺たる世の中でも、光が、希望があると、そのへんを通行するぐったりと疲れきったオジサンに飛びついて、ケータイをピコピコしながら横列歩行してくる女学生を抱きしめて、『だいじょうぶだから!』と叫びたい気持ちにあふれている」。
「いま、この社会を、生きるって、たぶん、すごくしんどい」、「病気にかかっているかどうかにかかわらず。年齢や、社会的ポジションにかかわらず。けっこうみんな、多かれ少なかれ苦しくって、『困ってる』と思うのだが、どうだろう」、「どうしてこんなに苦しいのか、みんな困らなくてはならないのか、エクストリーム『困ってるひと』としては、いろいろ思うところがあるのです」
退院後、著者は「タニマーによる、制度の谷間をなくす会代表」として、社会保障に関する様々な提言を続けている。立ち遅れていた難病対策も、消費税率の引上げによる財源確保を通じて、来春、ようやく拡充・法制化されようとしている。
厚生労働省(課長級)JOJO