実妹、その学友とも…「女と文学のコスモポリタン」
著者が「女と文学のコスモポリタン」と評する武林無想庵は、当時「日本のアナトールフランス」と称せられた博識の作家であるが、幼時に養子に行き、一高生の時初めて実妹光子と会い、彼女を愛し交わってしまう。その後芝居茶屋の女と京都へ恋の逃避行するが逃げられ、郷里出身の女性との結婚も2年で破たんする。デスペレートな生活にピリオドを打とうと比叡山に上り、「摩訶止観」を読んだりするが、性根は改まらず、帰省した時には、異母妹の常子を抱いて子供まで作ってしまう。光子の学友の鎌倉の若夫人とも恋愛し、その愛欲生活を描いたのが、彼の代表作である短編「ピロニストのように」である。その後偶然から、のちに「パリの妖婦」と書き立てられる文子という破天荒な女と結婚し、二人でパリに渡る。やがて彼は養父母の財産を使い果たし、文子は他の男とできて、無想庵は、文子をあきらめることもできず追って回る。これを書いたのが、やはり彼の有名作である「Cocuの嘆き」である(コキュ=仏語で「妻を寝取られた男」)。困窮して文子と別れて帰国した無想庵は、数年後60歳ちかくなって再婚して文子と対照的な貞淑な妻朝子を得、漸く平穏を得たものの、やがて失明する。しかし、妻への口述筆記により「むそうあん物語」なる全45巻の大冊を完成させたというからしぶとい。
他の奇人たちの生き様にも、正しくリバータリアンの面目躍如たるものがある。こういう男たちが輩出した大正時代は、偉大なる明治と波乱万丈の昭和に挟まれてやや印象が薄いが、すごい時代だったのである。
平成の御世にあって、典型的な霞が関の住人にして無頼の対極にいる筆者は、昔から「アウトロー」的なものに惹かれ西部劇や任侠映画を愛好してきたのであるが、本書の影響で当分はリバータリアンを夢見てしまいそうである。
(山科翠 経済官庁 Ⅰ種)