『山本五十六の乾坤一擲』(鳥居民著、文藝春秋)。図書館の書架で最初に本書を見たときは、題名から、これは山本五十六元帥を、真珠湾奇襲攻撃を立案し成功させた稀代の軍略家として神聖視するような、言葉は悪いが少々軽薄な本だろうと思って手に取らなかった。ところが他の書架を一回りするうちに、著者の鳥居民という人はたしか「昭和二十年」シリーズという大長編のドキュメンタリーを30年がかりで書き続けて、13巻まで著したところで惜しくも逝去した史家だったということに思いが至り、当該書架に戻って本書を借り出したというわけである。
「勝算ない旨を直接奉答」の秘策?
著者は本書において、我が国が日米開戦を御前会議で最終決断した昭和16年(1941年)12月1日の前日である11月30日の高松宮の参内は、山本連合艦隊司令長官の意向を受けたもので、現場のトップである山本長官を召して直接勝算を尋ねるよう天皇に進言したものであったとする。山本の秘策は、宮中にお召しいただいて対米戦に勝算ない旨を直接奉答し、聖断により開戦を回避しようとするものだったが、木戸内大臣に妨害されて山本の召致は実現せず、国策変更はできなかったという見解である。著者は、こうした解釈の下に、木戸内府の責任を厳しく追及している。
著者の見解は魅力的であるが、今のところ山本の秘策を具体的に裏付ける文書や日記は発見されておらず、関係者の証言もない。この点著者は、木戸の助言を受けて高松宮の進言を容れなかった天皇の名誉を守るために関係者が秘密を守ったという立場に立つが、実証研究の立場からは、推理ないし仮説の位置づけとならざるを得ないだろう。
事務的な努力では、国の大きな流れを変えることは…
しかし、著者の一連の推理にはある種のリアリティがある。とりわけ、山本長官が登場する前の部分の推理、つまり16年夏から秋にかけて永野軍令部総長以下の海軍執行部が、陸軍が対ソ開戦をするのではないかと恐れ、それを回避するために南進論を強硬に主張したというあたりの見解には説得力がある。南進論で対ソ開戦論をつぶすことができれば、その結果仮に米国との全面対決になったとしても、宮中はもとより陸軍中枢も本気で対米開戦は考えないだろうから、対米譲歩して対米関係の調整は可能であるとの考えから、いわば便法として南進論を強硬に主張して見せたというのは、さもありなんという気がする。対ソ開戦となれば、第二のシナ事変となり予算も物資も陸軍に取られた挙句、もし米国に経済封鎖をしかけられたら海軍としては責任が持てない。かといって、対ソ国防は陸軍が主担当の領域であって海軍として直接的に対ソ開戦反対を唱えにくいという事情は想像しやすい。
また、陸軍が対ソ戦をほぼ断念した16年8月9日以降、海軍が今度は国策を対米不戦に持っていくために、戦争準備の対象を援蒋支援路遮断のための昆明攻略作戦に限定しようとしたり、国策遂行要領案の文章の修文に努めたり、必死の工作を続けたというあたりも霞が関の住人的には実に現実感がある。しかし、それ以上にリアリティがあると感じたのは、(著者が明示的に問題提起しているわけではないが、)海軍官僚たちの事務的な努力では、国の大きな流れを変えることはできなかったという点である。
昭和史の素人である筆者には、本書の推理がどこまで正しいのか判断できないが、著者の他の著作を読んでみたくなった。
経済官庁(I種職員)山科翠
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