事務的な努力では、国の大きな流れを変えることは…
しかし、著者の一連の推理にはある種のリアリティがある。とりわけ、山本長官が登場する前の部分の推理、つまり16年夏から秋にかけて永野軍令部総長以下の海軍執行部が、陸軍が対ソ開戦をするのではないかと恐れ、それを回避するために南進論を強硬に主張したというあたりの見解には説得力がある。南進論で対ソ開戦論をつぶすことができれば、その結果仮に米国との全面対決になったとしても、宮中はもとより陸軍中枢も本気で対米開戦は考えないだろうから、対米譲歩して対米関係の調整は可能であるとの考えから、いわば便法として南進論を強硬に主張して見せたというのは、さもありなんという気がする。対ソ開戦となれば、第二のシナ事変となり予算も物資も陸軍に取られた挙句、もし米国に経済封鎖をしかけられたら海軍としては責任が持てない。かといって、対ソ国防は陸軍が主担当の領域であって海軍として直接的に対ソ開戦反対を唱えにくいという事情は想像しやすい。
また、陸軍が対ソ戦をほぼ断念した16年8月9日以降、海軍が今度は国策を対米不戦に持っていくために、戦争準備の対象を援蒋支援路遮断のための昆明攻略作戦に限定しようとしたり、国策遂行要領案の文章の修文に努めたり、必死の工作を続けたというあたりも霞が関の住人的には実に現実感がある。しかし、それ以上にリアリティがあると感じたのは、(著者が明示的に問題提起しているわけではないが、)海軍官僚たちの事務的な努力では、国の大きな流れを変えることはできなかったという点である。
昭和史の素人である筆者には、本書の推理がどこまで正しいのか判断できないが、著者の他の著作を読んでみたくなった。
経済官庁(I種職員)山科翠
J-CASTニュースの書籍サイト「BOOKウォッチ」でも記事を公開中。