【書評ウォッチ】日本のスポーツ観に「敵や数値目標」なかった 瞑想・祈りに通ずる修業の意義とは

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   東京オリンピックに向けて盛り上がりそうなスポーツを、これまでとは異なる視点から考えた『修業論』(内田樹著、光文社新書)が毎日新聞に。記録を競い、相手に勝つために身体を鍛える西欧式発想はしない。数値目標も「敵」もない、日本古来の身体観を提案している。合気道から説き起こして哲学や信仰にまで触れる内容だが、できるだけわかりやすくという執筆姿勢も感じられる。「スポーツは勝負であり、ビジネスにもなる」といった西欧の競技観にどっぷりつかった現代人には新鮮に響く一冊だ。【2013年9月29日(日)の各紙からⅠ】

「稽古」で自分を発見する

『修業論』(内田樹著、光文社新書)
『修業論』(内田樹著、光文社新書)

   無敵という言葉。「敵がないぐらい強い」との意味にとるのが普通だろうが、この本ではちがう。アスリートが倒すべき相手として想定する敵というものが、合気道にはない。こういわれると、すぐに理解するのは簡単ではない。相手の気配に共鳴し、そこに一つの合体した磁場を感じ、合理的な動きを察知していくという。ウーン?

   わかりやすいのは練習の、本では「稽古」の考え方だ。西欧式のアスリート・選手たちが目標達成のためにする練習の結果はすぐ数値化されるが、合気道の稽古には目標も数値もない。稽古を続けるうちに思いがけない技が身につく。「すでに決められた目標を達成するのではなく、自分のなかに新しい自分を発見することに意味がある」と、合気道を全く知らないという評者・渡辺保さんもうなずく。

   そこから瞑想や祈りにも通じる修業の意義を、本は坂本竜馬や司馬遼太郎も登場させて解説する。著者はフランス思想を研究し、倫理やユダヤ文化論の著作で支持者の多い元大学教授で、合気道七段。「言語化しにくい日本人の身体観の一端を言語化することに成功した」と評者は受けとめている。武道を知らない人でも納得できそうな問いかけではある。

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