在宅死の条件は、本人・家族の「思い」と医療・介護スタッフの「ケアの哲学」
日本では、今、年間約130万人が死亡するが、そのうち在宅死は1割強。今後、高齢化が急速に進む中で、死亡者数はピーク時(2040年)に約170万人まで増えると推計されているが、これ以上、医療機関のベッド数を増やすわけにもいかず、更に増える死者をどこで看取るかが課題になっている。
花戸医師によると、永源寺地区での在宅看取り率は何と4割を超えるという。こうした看取りができるのは、この地区が特別だからであろうか。
確かに、同じ東近江市でも他の地区では、これほどの割合で在宅死は見られないという。実際、永源寺地区の場合、2世代・3世代同居といった家族の介護力が高い世帯も比較的多いようだ。他方、集落によっては、高齢化率が5割を超え、一人暮らしも相当数に上る。また、在宅生活を支える医療・介護資源が豊富だともいえず(24時間ヘルパーなどいない!)、在宅での看取りに有利な条件が揃っているわけではない。
花戸医師の訪問診療に同行して感じたその理由の一つは、最後まで住み慣れた自宅で暮らしたいという「思い」が、本人にも、そして、家族にも共有されている点だ。このため、花戸医師は、往診の都度、「口から食べられなくなったらどうする」、「身体が弱ってきたらどうする」と本人の意思を確認しているそうだ。
そしてもう一つの理由が、在宅生活を支える医療・介護スタッフが、こうした本人・家族の思いを受け止め、「治す医療」ではなく、「支えるケア」に徹底していることだ。
花戸医師はいう。「病院は病気の部分、患部を診るところ。ぼくは、その人の人生と生活そのものを診られたらいいなと思っています。そのためには、お家におじゃまして、じっくり話をするのがいちばん。ぼくにとって、地域全体がホスピタルのようなものです」。
「地域包括ケア」、今や、医療・介護界はやりのキーワードだが、その実現には、花戸医師が語るような「ケアの哲学」が、そこで働く医療・介護従事者と、ケアを受ける者やその家族に、共有されてこそ、はじめて現実のものになると感じた。
厚生労働省(課長級)JOJO
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