日本の市民100人に聞いたら99人は賛成であると答えるといわれたのが、「行政改革」だそうだ。長年行政改革に携わった元総務事務次官の増島俊之氏は、その著書『行政改革の視点』(良書普及会 1996年)で、そもそもは、手続重視の行政について定期的に見直しを行う「効率的な行政の実現」のことであり、行政の「ムリ、ムラ、ムダ」を省くということであったという。ところが、日本の財政悪化に伴い、行政の守備範囲を問う「財政再建の実現」という行政から受益を受ける国民に痛みを与えるテーマがつけ加わったとする。
「自立自助の哲学」、そして、「個人は質素に、社会は豊かに」を掲げて、1981年以来、臨時行政調査会(第二臨調)・臨時行政改革推進審議会(第一次行革審)の会長として、文字通り、国民から不評も買うことになる財政再建の実現に、命がけで取り組んだのが、土光敏夫氏である。我々の世代には、1982年7月に報道されたNHK特集「85歳の執念 行革の顔・土光敏夫」での、財界総理といわれた経団連会長まで歴任して栄達をきわめていながら、つつましい質素な生活をされている「メザシの土光さん」とのイメージが強烈だ。
母の教えを原動力に
3.11を経験した、ある1人のジャーナリストが、この土光氏が残した言葉を現代の日本に伝えることが東日本大震災からの復興に役立つと思い立ち、週末を利用し膨大な本を読み、関係者に取材を行って、2011年夏に世に問うたのが、『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(出町譲著 文藝春秋)であった。この著作は土光氏の言葉の持つ力と著者の強い気持ちが読者に広く受け入れられ、ベストセラーとなった。
今般、同じ著者の手になる『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年7月 文藝春秋)が出版された。土光氏が、実は、母の教えを原動力にして、生涯懸命に生きてきたことを鮮やかに示す。土光氏の母・登美さんは、自らも国のため、人を育てるため奔走した人であり、戦争を憂い、「政治家も軍人も母に抱かれて育つ。国造りは女子教育から」と女学校を捨て身で設立したことなどが生き生きと描かれる。