霞ヶ関官僚が読む本
カント、サルトル、バロン・サツマ… その臨終にみる人間の「喜劇」と「悲劇」

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極楽往生した大親分の辞世

   例えば、七十五歳で死んだ人々の章をみてみよう。章の冒頭には、「老いても、生きるには金がかかる。…人間の喜劇。老いても、死ぬには苦しみがある。…人間の悲劇。 山田風太郎」とある。すごい警句である。続く本文では、アルキメデス、鑑真、柳生宗矩など19名の臨終が語られている。その中の一人、爵位がないのにパリ社交界でバロン・サツマと呼ばれた薩摩次郎八は、祖父が一代で築いた巨富を戦前のパリで蕩尽して戦後無一文で帰国した。帰国後、二十も年下の踊り子と六畳のアパートで同棲した。やがて次郎八は脳溢血で倒れ、以後16年間彼女はミシンを踏んで次郎八を養った。風太郎は、次郎八の臨終に関して、「豪快なる蕩児と純情な踊り子が、現実に描いた大ロマンス」と、かなり好意的に評している。

   実存主義の旗手であったサルトルもまた七十五歳で逝ったが、死去の5年前に作家廃業を宣言した彼は、晩年経済的に困窮しただけでなく、心身ともに健康を害し、最晩年には時ところをわきまえない排泄の不始末まで引き起こす「恍惚の人」になっていた。同じく七十五歳で亡くなった新門辰五郎は、幕末維新にかけて浅草上野一帯を縄張りとする大親分で、娘が徳川慶喜の愛妾の一人になったことから慶喜上洛時には子分を引き連れ将軍の供をするという、やくざ史上稀有の栄華を極め、維新後も困窮することはなかった。「思ひおく 鮪の刺身鰒汁(ふくとじる) ふっくりぼぼにどぶろくの味」という好物を並べたとんでもない辞世を残して死に、風太郎から極楽往生と評されている。

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