「乃木の一生は日本国軍の運命を表徴」
第二には、乃木の理想的武人としての性格は、修養によって得られた多分に人為的なものであるとの指摘である。著者は、乃木が西南戦争での軍旗喪失について自責の念から非常に苦悶した結果、理想的武人として国家に尽くそうとしたことに、無限の同情と尊敬を持つとしている。他方で、乃木の理想的武人型はともすれば人間離れしたものになったとし、特に家庭生活において特に静子夫人への愛情表現に乏しかった点について、どうしても賛成ができないと批判している。そして、理想的武人は国家あるを知って家庭など顧みるべきものでないと、乃木は考えたのであろうと分析している。
第三には、乃木の一生は日本国軍の運命を表徴したもののようであるとの指摘である。著者は、「乃木の死のときをもって、国軍の盛運の頂点とし、そののちには陸海軍ともに、その形態においてこそ拡張の実を示したかもしれないが、その精神においてはそののち一路衰運の道をたどって、ついに廃絶に至った」と述べている。「その精神、その気迫において、おごりとゆるみがきた」ために「衰運に向かった」との著者の指摘は、明治期の国運発展と戦後の経済成長をあわせ思うとき、一段と重いものとなるような気がする。霞が関の諸兄には、乃木の家庭生活に関する指摘の方が、より重要かもしれないが。
経済官庁(Ⅰ種職員)山科翠
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