千代田線乃木坂駅の「乃木坂」という地名は、日露戦争旅順攻城戦の司令官であった陸軍大将乃木希典に由来する。元々は幽霊坂と呼ばれていたものを、大正元(1912)年9月の明治天皇御大葬に際して殉死した当時学習院院長の乃木を悼み、当時の赤坂区議会が改名を議決したのである。
乃木神社に祀られ、講談や浪曲にも登場したほどの国民的英雄であった乃木であるが、戦後は、人気小説『坂の上の雲』で愚将扱いされたこともあって、すっかり評価が変わってしまった。本書『乃木希典』(吉川弘文館人物叢書)は、軍事史の泰斗である松下芳男法学博士が、『坂の上の雲』(昭和43~47年連載)に先立つ昭和35(1960)年という時点で、乃木の人間像を著したものである。
旅順攻略「首将乃木の徳望が重大な一因」
著者は、大正2年陸軍士官学校卒。武藤章・元陸軍省軍務局長、田中新一・元参謀本部作戦部長等と同期であったが、歩兵中尉で退職。日本大学法学部を卒業後、海軍出身の反戦平和運動家である水野廣徳に師事。戦後は長く工学院大学教授として、近代日本軍事史を研究した。
著者は、本書で乃木に関して三つ大きな指摘をしている。第一には、乃木こそが、忠節・忠恕・廉恥・廉潔・誠実・質素・仁慈・克己という徳を備えた古武士的武将の理想像であるとの指摘である。乃木の旅順攻略時の用兵作戦能力は厳しい評価を免れないとしつつ、邦家の安危を賭けて幾万の生霊を犠牲に供する要塞戦の首将として彼に代わる適任者はいないとしている。当時、旅順の戦況は敵の堅塁の前に我が将兵の死屍累々たる惨状であったが、他方速やかに攻略できなければ国家の命運が危うかった。悪戦苦闘150日、参加将兵13万中5万9000の犠牲をもってようやく旅順は陥落する。著者は、最後の勝利を得たのは将兵の忠勇に加え、将兵を喜んで死に赴かせた首将乃木の徳望が重大な一因であるとする。