東日本大震災の発生後、世間の関心が集まった古典として、約800年前の1212年に著された『方丈記』があげられる。平安~鎌倉時代に起きた地震や大火事、飢饉といった災害に加え、それに立ち向かう人々の姿を詳細に記した名著だが、本書『鴨長明伝』(五味文彦著、山川出版社)はその作者である長明の生き方について、歴史学的な解明を試みた一冊だ。
近代の作家にも大きな影響
著者の東大名誉教授・五味文彦氏が本書を執筆したきっかけは、数々の名文を生み出した長明の生き方に関する過去の研究の多くが「いささか長明に冷たい」のではないか、と疑問を抱いたからだという。
多くの研究書は、長明が下鴨社の摂社である河合社の禰宜につけなかったことから大原での遁世に至ったとしている。「思うに任せないことがあって、神社関係の交じらいもしないで、自宅に籠居していたらしい」「社交的でない、偏屈な性格であった」と記した書籍もある。
だが、長明の中に精神の純粋さやナイーブな感性を見出す五味氏は、『方丈記』『無名抄』『発心集』の3作品をあらためて捉えなおす作業を試みる。その過程で、和歌をめぐる人々と長明との交流、和歌の師匠たちへの長明の思いをつづった記述を読み進めるうち「とても長明が『社交的でない、偏屈な性格であった』などとはみなせない」との結論を導き出す。
平安から鎌倉期という時代の大きなうねりの中で、社会の動きに翻弄されつつ、長明は「耐えに耐えながら人々との交わりを持ち、『まことの心』を失わずに生きたのである」。五味氏はこう記し、和歌では大いに名を成すことはなかったものの、「散文」の新たな世界を切り開くことになったその生き方を評価する。
本書のあとがきでは、同氏はあらためて、長明の散文が近代の作家に与えた影響の大きさについても言及している。