稀代の「自由人」で伝説の画家は、本当に"自由"だったのか?

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「父は放浪のダダイスト辻潤、母は革命家・大杉栄とともに虐殺された伊藤野枝。多くの画文と逸話を遺した『辻まこと』がかかえていた"魂の苦痛"とは」――

   『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』(山川出版社・駒村吉重著)の帯カバーにはこんなコピーが記されている。画家であり詩人でありデザインナーでもあった辻まことと、思想家で晩年は放浪生活を送った父親・辻潤の生き方を対比させつつ、本書には社会から「自在」であろうとした2人に対する著者の深い共感が刻まれている。

10代後半に、父親と着の身着のままの状態で渡欧

『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』
『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』

   辻まことは1913年(大正2年)に生まれ、1975年(昭和50年)に生涯を終えた。60年代には山岳、スキーなどをテーマにした画文や風刺的なイラストで名をはせた。

   辻まことの父親で、翻訳家・思想家の辻潤の名を初めて知る読者も、母親の伊藤野枝については教科書でその名を目にした人も多いだろう。家族を捨ててアナキスト大杉栄のもとに出奔した伊藤野枝は、関東大震災の混乱の下、大杉とともに軍部に虐殺される。 辻まこと10歳ころのことだ。

   凄烈な運命のもとに生まれ育った辻まことは10代後半のとき、父親と着の身着のままの状態で渡欧。滞在1年で帰国して間もなく、父親・潤は精神障害が顕著となる。赤貧ゆえに学業を断念した辻まことは、糊口をしのぐため広告会社に入社してデザインやイラストの仕事を始める。画が描けて文案も奇抜――まことの才能は高く評価され重宝がられたという。

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